日本科学者会議東京支部


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< 巻 頭 言 >

日本科学者会議東京支部つうしん No.618(2019.4.10)

ジェンダーギャップ指数下位からの脱出は実現するのか
東京学芸大学名誉教授 大竹 美登利

 世界経済フォーラム(WEF)は各国のジェンダー不平等状況を分析した「世界ジェンダー・ギャップ報告書」を毎年発表している。2018年版(2018年12月18日)によれば、日本は対象国149カ国中110位で、G7の中で圧倒的に最下位。日本では、労働所得、政治家・経営管理職、教授・専門職、高等教育(大学・大学院)、国会議員数の世界ランクがいずれも100位以下と、男女間格差が大きい。
 現政権は強い経済、子育て支援、社会保障の「新・三本の矢」を推進した一億総活躍社会の実現を掲げた。しかし、その対策として目立つのが、労働時間を無天井に延ばせる働き方改革であり、子育て支援や社会保障の有効な政策はなかなか出てこない。労働時間を青天井に延ばせる働き方改革では、ジェンダー格差指数を逆に広げてしまうことになると懸念する。
 国立女性教育会館では、平成30年1~2月に実施した「学校教員のキャリアと生活に関する調査」の報告書および結果の概要を2018年11月に公表した。この調査は男女平等が進んでいると思われている小学校中学校の教員の職場でも、管理職に占める女性の割合がきわめて低いことに注目し(教員に占める女性の割合は小学校62.5%、中学校42.5%、校長の女性比率は小学校19.3%、中学校6.6%、:2017年度学校基本調査)、その要因を探ることをめざした調査である。その結果から次のような状況を読み取ることができる。
 男女で大きく異なる回答は、①家事育児等の家庭生活の役割を担っている比率(女79.45,男3.5%)、②将来管理職になりたい人の比率(女性7%、男性29%)、③管理職になりたくない理由で特に「自分にはその力量が無い」(女68.9%、男51.5%)「責任が重くなると、自分の家庭の育児や介護等との両立が難しい」(女51.5%、男34.9%)「労働時間が増えると,自分の家庭の育児や介護との両立が難しい」(女48.4%、男38.1%)に差があった。
 一方、男女差は少ないが職階で大きな差があるのが在職場時間である。特に副校長・教頭が長く、平均低な1日の在職時間が12時間以上であるものが8割に近い(小学校女78.0%、男73.4%、中学校女83.0%、男81.1%)。
 このことから読み取れるのは、ワーク・ライフ・バランスはあきらめ、青天井の長時間労働を受け入れた人だけが管理職になっていく実態である。副校長・教頭を経ないと校長になれず、管理職への大きな障壁になる。女性が管理職になれない、ならないのは当然であろう。女性活躍社会の実現をめざすなら、長時間労働をまず第一に改善すべきである。
 報告書の最後では「今後は、学校における男女共同参画や男女教員のワーク・ライフ・バランスの推進に向け、得られた知見を活用していく予定です」と結ばれている。期待したいものである。
日本科学者会議東京支部つうしん No.617(2019.3.10)

日本科学者会議の活動に参加してみませんか
日本科学者会議東京支部

 1965年に創設された日本科学者会議は、人々がよりよく生きるために科学を発展させるという一点で団結している研究者・高度専門職業人の学際的な学術団体です。この基本目的に基づいて、創設以来多くの会員が自分の専門研究の枠を越えて、平和・地球環境・基本的人権の擁護等のために力を尽くしてきました。近年では、明文改憲の動きが顕著になるなかで九条科学者の会の発足に尽力し、また福島第一原発事故の発生に対していち早く原発の廃止を定期大会で決議し、自然エネルギー(再生可能エネルギー)を最優先する社会への転換を訴えてきました。このような科学者運動を通じて、私たちは人類の幸せを求める様々な分野の社会運動、市民運動と連帯の輪を広げてきました。
 いま大学や研究機関で研究・教育に携わっている多くの仲間が、学問の自由、大学の自治が根本から奪われつつあることに大きな危惧と憤りを感じています。「社会への貢献」という名目のもとに、政府と経済界による研究・教育分野への介入が公然と行われ、大学・研究機関に「効率化」の論理が持ち込まれ、短期的な成果を求めて有無を言わせぬトップダウンの組織運営・予算配分が強行されています。日本科学者会議は、この学術の現状を多くの国民に知ってもらい、市民・国民の求める科学と学術の発展とは何かを、国民とともに考え行動していきたいと考えています。日本科学者会議とともに科学と学術の現状を打開していきませんか。
 日本科学者会議に入会していただくと、居住地あるいは所属機関・組織の所在地の都道府県支部の会員となります。会員は月刊誌である『日本の科学者』を購読し、全国・支部が開催する様々な学術シンポジウムや講演会、研究会に自由に参加することができます。最大の支部である東京支部は、2年に一度の東京科学シンポジウム(2017年の第19回シンポでは23分科会を設置)をはじめ様々な研究会や定年退職会員に好評のフィールドワークや地域分会研究会が恒常的に開催されています。専門研究や大学・研究機関の枠を越えて、いろんな専門研究者や高度専門職業人、市民運動家と交流・連帯してみませんか。
 専門研究者としての道にいま踏みいろうとされている大学院生の皆さん、定年退職されこれから自由な研究・社会生活を謳歌しようとされている熟年研究者の皆さんの入会も心から訴えます。

日本科学者会議東京支部つうしん No.616(2019.2.10)

「働き方改革」とディーセントワークの実現
中央大学教授  松丸和夫

 昨年の通常国会の与野党対決法案の「働き方改革関連法」(以下「関連法」)が、この4月から一部を除いて全面実施となる。「関連法」には、労働時間の罰則付き上限規制のように、2014年11月施行の「過労死等防止対策推進法」の具体化ととれるものも含まれている。さらに、雇用形態の多様化への対応としての「同一労働同一賃金」の促進という労働者福祉、性別・雇用形態を超えた「均等待遇」に接近する可能性も示されている。
 しかし、同時に経済界からの長年の強い要請を受けてきた「ホワイトカラー・エグゼンプション」の延長線上にある「高度プロフェッショナル制度」の新規導入も含まれた。この「働き方改革」は、「働く人の視点に立った働き方改革」と政府側から言われてきた。しかし、それは、労働者や労働組合からの反発を避けるための巧みなマヌーバーであった。
 労働基準法それ自体は、労働者に対して主として使用者が遵守すべき労働条件の最低基準を定めるものであるから、労働者の権利、とりわけ「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」(同法第1条)の精神が優先されるものであった。もちろん、働く人自身や労働組合の意識改革や努力が求められることも明らかである。
 さて、過労死・過労自死等予防のための最重要課題である長時間労働の削減について若干の私見を述べる。今回の「関連法」の労働時間規制は、3階建てとも言うべき構造になっている。1階部分は、労働基準法32条による1日8時間、週40時間の上限規制である。違反した場合は、6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金である。
 2階部分は、同法36条による労使協定(36協定)が締結された場合は、月45時間、年360時間という残業の上限規制である。これは、1998年の労働省告示第154号の規定の法律への格上げである。確かに、従来の「過労死ライン」の残業時間、月80~100時間を下回っている。36協定に特別条項規定が許され始めた2010年4月までは、労使協定を以てしても月45時間以上の残業は認められなかった。しかし、労働省告示には法的強制力も罰則もなかった。
 3階部分は、「特別条項付き36協定」が公認されてから、大企業を中心に月の残業時間が100時間を超えるような労使協定が拡大し、天井のない3階部分として大きな問題となってきた。過労死ラインをはるかに超える36協定が放任されたのである。「関連法」の実施により、4月以降は、「特別条項付き」の協定であっても、月平均60時間(年間720時間)、2~6か月平均で月80時間、単月で100時間が上限となり、青天井から「屋根付き」の3階部分に法令上は移行する。
 最も大事なことは、一日8時間、週40時間という労働基準法32条の労働時間の上限まで働けば、「人たるに値する」労働生活が実現するかどうかである。この規制から外されている医師、教員、建設、運転労働者等々への上限規制の拡大と併せて、すべての労働者に人間らしい労働(ディーセントワーク)を実現することが必要である。

日本科学者会議東京支部つうしん No.615(2019.1.10)

日本の高等教育政策のあり方を考える 一 私学の立場から ー
法政大学副学長 増田 正人

 昨年9月、「高等教育政策に関する私大連の見解」が発表された。これは私立大学の立場からなされたものであるが、財界や政府、国大協も日本の高等教育のあり方について、様々な提言を発表してきている。現在、日本の高等教育が危機的状況にある中で、私学経営に関わる者の立場から、大きな視点でこの問題を考えてみたい。
 図式的にやや単純化してみれば、政府や経済界の考え方は、1980年代以降に急激に変化したグローバル社会の下で、①高等教育機関は、知財を生み出す国際競争力の根源に変化し、いわば産業基盤そのものになった、②財政赤字の下で、限られた原資で成果を出さなければならない、③日本人だけでなく海外の優秀な若者も必要である、というものであろう。他方で高等教育機関の側から見れば、その使命は真理の探究にあり、研究成果は個別企業・産業の利益ではなく人類全体のためでなければならないし、教育の目的は自立した民主主義社会の担い手の形成である。
 この間の政府や財界の主張は、彼らのいらだちの反映である。国立大学をはじめとして大学改革を強行し、財政誘導を活用しつつ大学内の管理運営改革も実行してきたにもかかわらず、なかなか結果が出ていない、だからもっと過激に介入をしなければならないというものである。他方で、研究者の立場からみれば、現在の政策は教育研究基盤そのものを掘り崩し、結果的に若手研究者層への負担を拡大するばかりで、世界における日本の研究プレゼンスの低下を招き、それを強めればますます基盤が弱くなるというものである。の研究プレゼンスの低下を招き、それを強めればますます基盤が弱くなるというものである。の研究プレゼンスの低下を招き、それを強めればますます基盤が弱くなるというものである。
 どちらの立場が正しいのかは既に決着がついているが、問題は政府や経済界がそのイデオロギー(改革が不十分だから結果が出ない)に固執している点である。この問題は国の経済政策のあり方を巡る新自由主義の害悪と全く同じ構造になっている。
 しかし、政府や財界の誤りは誤りとして改められなければならないが、翻って各大学の対応は十分なものであっただろうか?私学でいえば、財政危機への対応として、学費値上げで学生負担を増やし、他方で、任期付教員を増やし、非常勤講師等への依存を強め、事務においても嘱託職員を増やし、業務委託を拡大してきた。いわば、弱者への負担を強めて対応してきたといってよいわけで、そのひずみは限界に達している。
 こうした高等教育政策の背景にある、研究成果を知的所有権として独占し、巨万の富を生み出すことを良しとするグローバル社会のあり方についての是非も問わなければならないだろう。一部のものではなく、大学でまじめに学び、社会に出ていく多くの若者たちが幸せになれる社会でなければならない。各大学が個別に対応するのではなく、学生や父母、大学内で働く全ての人々と協力し合いながら、世論喚起をしていく必要があろう。今年一年がそうした大きなうねりを起こす転機にしたいと思う。

日本科学者会議東京支部つうしん No.614(2018.12.10)

豪雨災害から学ぶべきものはなにか-水害リスクを考える-
公立大学法人・前橋工科大学名誉教授 土屋十圀

① ハザードマップは二次的、潜在的な水害リスク要因まで示せ
 2018年7月の西日本豪雨災害は九州から関西までの広い地域に河川災害、土砂災害をもたらし、いのちと生活を奪った。被害の直接的な要因は線状降水帯と呼ばれる豪雨であり、愛媛県肱川では河川の計画降雨量340 ㍉/2 日を超え、激しい豪雨を各地にもたらした。中でも広島県、岡山県、愛媛県の三県の死者は最も多く其々109 人、61 人、29 人であった。
 さて、新聞報道や現地調査からみると各地域の被害の特徴がわかる。広島県は土砂災害による死者が最も多い。岡山県は堤防決壊による氾濫による水死者、愛媛県は肱川のダム放流に伴う河川氾濫による死者および土砂災害の複合災害であった。広島県は2014 年の土砂災害を上回る大きな被害となり、風化花崗岩の地質・地形という災害リスク要因の大きい地域の宅地開発が指摘されていた。愛媛県肱川ではダムによる治水の限界を改めて示した。本文では岡山県真備町の被害から水害リスクを考える。
 岡山県の高梁川水系の小田川は上流が広島県から流れ、下流の支川を含む堤防決壊による氾濫で低平地の住宅、農業に甚大な被害を与えた。倉敷市真備町は山麓沿いの古い街で、新市街地の南側を流れる小田川は合流点から約8km まで国の管理であり2 ヶ所で決壊。県管理の末政川など3 支川は6 ヶ所で越水・決壊した。この現地調査に入り最初に驚いたことは、小田川の河川敷に高密度に繁茂した柳・ハリエンジュなどの高木が堤防や橋梁の高さまで達していたことである。国は川が滞留し流れにくいことを住民から指摘されていたこともあり復旧工事の中、慌ただしく樹林の一斉伐採をしていた。河道の管理が行われていないことが露呈した。河川敷の樹林管理は全国的な課題でもある。
 次に、各支川が天井川という地理的・地形的な特徴に注目した。これらの天井川は周辺の山麓の高い位置からほぼ直線で流下し小田川に直角で流入する。この天井川は主に農業利水のために創られた水路であり治水機能はない。ローマの水道といった施設に近い。天井川の河底は平地から2?4m は高く、堤防が決壊すれば家屋の被害は避けられない。この天井川と低平地は地形上、潜在的に洪水リスクが存在していたことになる。この支川の堤防決壊は小田川河川敷の樹林によるバックウォーターの影響によるものと考えられる。これらが溢水破堤の二次的な水害リスク要因になったことは間違いない。
 近年、自治体が示す洪水ハザードマップは河川計画規模の外力、即ち年超過確率降雨量(1/100?1/200)を対象に氾濫するハザードを予測している。小田川のそれは1/100, 225 ㍉/2日のハザードマップを作成していた。しかし、現在のハザードマップは危険要因(peril)である降雨規模とこれによる危険状態(hazard)の氾濫域と浸水深は示されているが、予測される被害(damage)とその脆弱性(vulnerability)の見積もりは不明で知らされていない。堤防や河川敷の管理及び天井川などの農業利水施設による二次的、潜在的な水害リスク要因は検討されていない。これらは正常に管理されていることを前提としているからである。普段の街づくりから地形・地質をはじめ災害リスク要因を見積もり、その脆弱性の低減に繋がる対策こそ重要である。都市化が進む真備町は下水道整備率40%と低い。旧来の農業利水システムの上に急激な市街化が脆弱性と水害リスク要因を高めていたと考えられる。
② 想定最大規模豪雨はバーチャルで無謀
 全国では水防法改正に伴い、想定最大規模豪雨(1/1000)を作為的に作成する手法でハザードマップを市民に示している。豪雨という危険要因を意図的に高くすれば更にハザードは増大するだけであり、ハードの対策は限界がある。そのため降雨規模1000 年に1 回の「レベル2」と呼ぶ計画は避難対策しかない。これは「想定最大豪雨」というより「仮想最大豪雨」を根拠に避難計画は作られ、東京では250 万人を3 日間で周辺地域に避難させるとしている(東京江東五区避難推進協議会)。国は平成29 年に避難訓練を義務化している。1000年に1 回の降雨確率はデータもないため、真に「確からしさ」を示すことにはならず、市民が理解し納得するかは疑問である。これは無謀な避難となるであろう。今回、愛媛県の避難情報に対して実際の避難実行者は0.32%であったと報道された。現在の河川計画レベルの1/100?1/200 確率までの治水対策、避難対策に対して確実に取り組むべきである。

日本科学者会議東京支部つうしん No.613(2018.11.10)

「新時代沖縄」はなにをめざすのか
明治学院大学国際平和研究所・助手 秋山 道宏圀

 2018年9月30日の沖縄県知事選当日、東京の下宿先でインターネット中継を視聴しながら固唾をのんで結果が出るのを待っていた。20時に投票箱のフタがしまるとすぐに、玉城デニー氏の当確報道が流れた。「お!」と嬉しい驚きをもってニュースを受けとめたが、各地の選挙結果や投票動向が具体的に明らかになるにつれ、その「驚き」は二つの意味のものであることが意識されてきた。
 一つは、早い段階で当確報道が出たことからも予想されたが、大差でのデニー氏勝利という結果への「驚き」であった(約8万票差)。というのも、今回、佐喜眞陣営には、自民・公明に維新が加わり、今年2月の名護市長選挙の路線を引き継いで辺野古問題を争点化せず、また、業界的なしめつけと期日前投票を徹底した組織戦がとりざたされていたからだ。
 しかし、それだけではなく、大差でのデニー氏勝利が、旧来の沖縄における政治・経済構造の変化をより極端に示した(進めた)のでは、という「驚き」があった。地元紙などが行った出口調査の結果では、デニー氏への無党派層や女性からの支持の多さに目が向けられがちだが、ここで強調したいのは自民や公明支持層の離反である(2割?3割)。公明と自民では、若干、その論理は異なるが、旧来的な締めつけ選挙(=動員)が機能しなかったことの表れであると言える。たとえば、候補者の選定で先行していた佐喜眞陣営であったが、経済界では、県経済団体連絡会議や県建設業協会などは早々に「推薦」を決めていたが、「組織対応なし」が前回知事選の3団体から5団体となり、また、県経営者協会の「推薦」決定が遅れるなど、組織戦を徹底しているとされながらも、足並みの乱れが出ていた。また、今回は「推薦」を決めた建設業界も、内部ではデニー氏の選対を支える県内大手の金秀グループ(呉屋氏)や、脱公共事業(≒脱基地受注)を明確に打ち出している照正組(照屋氏)を抱えており、2010年代に入ってから自民党支持は自明ではなくなってきていた。
 加えて、辺野古を争点にしないという表面上の自公維の路線とはうらはらに、さまざまな場面で中央政党が前面に出たことで、かえって辺野古への新基地建設を強行する現政権への不信をかったと言える(出口調査での政権批判の強さ)。こう考えたとき、沖縄差別や、基地と経済を天秤にかけさせる分断政治への反発から、県民として一丸となることを強調した翁長前知事の路線を引き継ぎつつ、「誰も置き去りにしない」ことを強調したデニー新県政は、これからどこに歩んでいくのだろうか(女性の「質」失言の佐喜眞氏に対し、デニー氏はLGBTの企画にも足を運んでいた)。それは、経済振興をちらつかせつつ、暴力的に新基地建設を進め、社会/運動を分断しようとする権力の行使を、明確に拒否するかたちの多様で、包摂的な社会/運動を構想していくことに他ならない。その変化は、着実に、しかもドラスティックに進んでいる。
日本科学者会議東京支部つうしん No.612(2018.10.10)

道徳の教科化に思う―憲法・道徳・政治の関係を問う―
法政大学名誉教授 佐貫 浩

(1)安倍内閣の下での新自由主義的社会改変は、今まで日本社会に蓄積されてきた人権と幸福追求権の一斉切り下げを、止めどのない崩壊というほどに、推進している。権力が社会的に合意されてきた道徳性の規範をこれほどにあからさまに放棄し、日本が競争に生き残るにはこれしかないと居直る事態が訪れている。今日の道徳性の危機はここにある。社会の道徳性という点から見れば歴史的に一番恐ろしいのは、言うまでもなく権力の腐敗、独裁、権力による人間の尊厳の否定である。これを批判し、阻止し、人権と民主主義を維持しようとする意思と力量にこそ、その社会の道徳性の水準が刻み込まれている。
(2)考えてみれば、現代社会の正義と人間的道徳の水準を創造・維持しているのは政治にほかならない。人類は、長い間、命をも奪う権力政治のなかを、また戦争としての政治の中を生きてきた。そこでは、道徳とは、この支配秩序への忠誠を強制する行動規範であった。しかし、市民革命を経てようやく、人権と平等と平和の方法としての政治を前面に押し出し、その正義と道徳性の社会的合意の到達点を憲法的正義として掲げるに至った。
(3)そう考えてみれば、道徳性は、市民革命を経ることにおいて根本的にその質を転換したのである。だから、日本国憲法の下では、政治的主体として、社会の正義規範を創造・発展させていく主権者になることこそが、道徳性の主体になることであるという論理が成立したのである。
このことから考えるならば、真に主体的なシチズンシップの教育としてこそ、道徳性の教育は取り組まれなければならない。
道徳の「教科化」は、この社会の歴史的発展と道徳性を切り離し、現代の新自由主義社会の競争と自己責任の檻に個人を閉じ込めるための規範として、徳目としての道徳を教え込み、それに従った行動訓練をも押しつけようとしている。それは権力支配とグローバル資本の人間搾取を受容させる人格への支配と統治として、展開されつつある。
(4)しかし、新自由主義はその支配の論理を、格差・貧困・差別の拡大によって人と人とが競争し、人と人とが互いに支配と被支配の位置を争奪し合う横の関係へと浸透させ、人々を、子どもをその網の目に囚え、生きられない日常を生み出し、ストレス、敵対、心の閉塞、孤独や孤立をも蔓延させる。この事態に対して、私たちの目指す道徳性の教育は、個の尊厳、ひとり一人のかけがえのない人間としての思いに共感しあえる横の関係を編み直す役割をも背負わなければならない。すなわち横の関係における人間の尊厳の論理の再構築である。
人間を否定する社会の論理に対して、人間のかけがえのない存在価値の再発見のための教育と学びを、現代への抵抗と変革に向けて立ち上げることができるかどうかが、私たちの道徳教育に問われている。

日本科学者会議東京支部つうしん No.611(2018.9.10)

「統合イノベーション戦略」についてー 日本の科学・技術、学術を変質する実行計画
特許庁分会 野村 康秀

 統合イノベーション戦略(82頁、以下「統合戦略」)が6月15日閣議決定されました。松山科学技術担当相は、「ソサエティ5.0の実現のため、『世界水準の目標』、『論理的道筋』、『時間軸』を示し、基礎研究から社会実装・国際展開まで、『一気通貫』で取組を推進する…重要事項として、例えば大学改革や若手研究者の活躍促進」等を盛り込んだ、と説明しました。安倍首相は、「この戦略を内閣の成長戦略のど真ん中に位置付け」ると述べました(6月14日、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI))。翌7月、官房長官を議長に全閣僚で構成する「統合イノベーション戦略推進会議」が設置されました。CSTIの外、IT、知財、健康・医療、宇宙、海洋、地理空間情報活用の「司令塔」を、横断的かつ実質的に調整する官邸主導の「統合」体制の構築です。
 統合戦略で目立つキーワードは「大学」です(本文中に304回登場)。統合戦略は、「グローバル競争に打ち勝ち、イノベーションによる持続的成長を実現するためには、破壊的ともいえる画期的な科学技術イノベーションを生み出す場である大学に活力を与えることが必要」として、「大学改革等によるイノベーション・エコシステムの創出」等を見出し項目に掲げます。成長戦略の基本方針「未来投資戦略2018」、「骨太方針2018」や「人づくり革命基本構想」でも、大学改革の見出しがあります。大学は成長戦略の攻撃の的になります。
 日本の科学技術政策は、科学技術基本計画 (1996年度以来5年毎に策定)と、2013年度以来毎年の科学技術イノベーション総合戦略(2018年度は策定なし)に基づき進められます。総合戦略 2017は、第5期基本計画(2016年1月、16~20年度対象)を踏まえ、「官民研究開発投資拡大」のため、予算編成「改革」やエビデンスによる効果的投資拡大を決めました。  統合戦略は、名称に「科学技術」がないことで推察されるように、「基礎研究」「学術研究」は、言及も僅か(本文中8回、3回)で、「推進」の対象でもありません。統合戦略は、総合戦略2017による科学技術政策を、イノベーション実現の観点から政府全体を監視し実行を迫り、Society5.0実現を図るものです。
 統合戦略は、「特に取組を強化すべき主要分野」の一つに「安全・安心」を明示しました。「技術的優越」、「安全・安心の観点から伸ばすべき分野や補うべき分野、適切に管理すべき分野を明確化」、「将来の活用が期待される科学技術候補や適切に管理すべき分野を早期に発掘」、「大学、企業等が組織として科学技術情報を守るための適切な対応」等、科学技術の分野に軍事的観点を持ち込みます。
 統合イノベーション戦略は、目先を変えた科学技術政策の一文書ではありません。大学を産学官連携に取込み、世界規模で利潤極大化を目指す大企業を後押しするイノベーション政策を(米国主導の軍事秩序の枠内)、政府財界総掛かりで「統合」的に推進する実行計画です。学習と批判、進捗の監視が必要です。

日本科学者会議東京支部つうしん No.610(2018.8.10)

私の8月15日 いま若い仲間たちに期待すること
東京都立大学名誉教授(哲学)  秋間 実

 1945年のあの日、旧制一高の1年生として正午から講堂で、たまたま安倍能成校長のすぐそばで、天皇のラジオ放送を聴きました。2~3日まえに、政府高官を父にもつ或る上級生からポツダム宣言受諾という政府の意向をしらされていましたので、ショックは受けませんでした。ただ、安倍さんが涙を流しておられる情景に接して、敗戦国民としてこの先にいろいろな苦難は避けられないのだろうな、という思いは骨身にこたえました。
 あれから73年、8・15がまためぐってきます。いま、敗戦後最悪最低のアベ政権による悪法のごり押し・公文書の改ざん隠ぺい・うその答弁など、善良な市民をなめきった言語に絶する悪行の数かずは、目にあまります。
 とは言え、アベを退陣に追い込んで内政をも外交をも抜本的に変えようと目ざす主権者各層の創意あふれる多彩なねばりづよい運動も、日ごと週ごと月ごとに強まり広まってきています。1965年12月4日に創立された日本科学者会議--自然科学者・技術者・人文社会科学者を結集したこの比類のない組織も、この戦い(と言えましょう)の一翼を担うものです。私も創立以来の会員ではありますが、いまや高齢の身、思うように活動することが残念ながらできなくなっています。それだけに、さしあたっては東京支部の若い会員たち--さまざまな困難をかかえながらそれぞれの分野なり部署なりでがんばっておられる若い仲間たち--に、熱い期待を寄せずにはいられません。
 どうか、当面のさまざまな理論上また実践上の諸課題とひきつづき向きあって、豊かな経験と高い見識とを具えた先輩たちまた同憂の若手たちと幅広く共同・交流するなかで、いっそう視野を広げ(これは狭い専攻分野に閉じこもっていては得られない、JSAならではのメリットですよね)専門家としての力量をますます高めることに努めてください。と同時に、しかし、5月の支部大会で米田 貢事務局長がいみじくも表明された確信:大規模支部である「東京支部が光り輝き続けることが、科学者会議[全体]の新たな前進につながる」のだとする確信(『支部つうしん』608号)を共有して、仲間をふやして支部を大きくしいっそう活性化させる活動にも、意識して取り組んでくださるように!
 以上、支部参与の任にもある老生の心からの期待を申し述べました。
      (7月20日)

日本科学者会議東京支部つうしん No.609(2018.7.10)

「明治150年」と憲法問題
早稲田大学教授(日本近代史) 大日方 純夫 

  一昨年(2016年)10月、政府は内閣官房に「明治150年」関連施策推進室を設置し、以来、「明治150年」キャンペーンを展開している。施策の柱は、①「明治以降の歩みを次世代に遺す施策」、②「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ向けた施策」、③「明治150年に向けた機運を高めていく施策」の3つとなっている。  一昨年(2016年)10月、政府は内閣官房に「明治150年」関連施策推進室を設置し、以来、「明治150年」キャンペーンを展開している。施策の柱は、①「明治以降の歩みを次世代に遺す施策」、②「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ向けた施策」、③「明治150年に向けた機運を高めていく施策」の3つとなっている。
 推進される施策は、「明治期全般の様々な取組や人々の活躍などを対象としたもの」だというが、3000件(2018年3月末の集計)を越える施策には、日清戦争も日露戦争もなく、台湾の植民地化も、朝鮮の植民地化もない。国内で噴出した様々な矛盾も消去されている。浮かび上がるのは、「戦争」と「アジア」と「民衆」を消去した「明治」である。リアルな「明治」の実相とはほど遠く、「精神」ばかりが称揚されている。
 安倍首相は、今年元旦の「年頭所感」で、「150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタート」したとして、「あらゆる日本人」が「力を結集」して「国難」を克服したと主張した。彼が言う「一億総活躍」社会を創り上げるため、「明治」を最大限に活用しようというのである。また、施政方針演説でも同様なことを語って、改憲論議によって「新たな国創り」を進めようと呼びかけた。
 ちょうど50年前、安倍首相の叔父、佐藤栄作首相のもとで「明治100年」記念事業が推進された。それは、第一に、「明治」を一面的に美化するという点で、第二に、天皇主権の大日本帝国憲法のもと、「戦争」によって対外膨張をはかった戦前と、国民主権の日本国憲法のもと、「平和」と「人権」を掲げた戦後を一括してとらえるという点で、第三に、歴史を活用してナショナリズムと国威発揚をはかろうとする点で、「明治150年」と共通している。 「明治100年」の際には、天皇への敬愛と愛国心、伝統と文化の尊重などを強調する「期待される人間像」が発表され、「建国記念の日」によって「紀元節」が復活した。「明治150年」は、愛国心や伝統・文化(「日本の良さ」)を強調する道徳教育の教科化と結びついている。さらに、日本国憲法が発布された「文化の日」(明治期の「天長節」、昭和戦前期の「明治節」)を、「明治を記念するに相応しい」日にしようとする「明治の日」制定運動が展開されている。「明治節」復活の目論見である。
 しかし、「明治100年」と「明治150年」の間には大きな変化もある。国際的には「冷戦」が崩壊し、国内的には高度経済成長が終焉した。こうしたなかで、保守的統合(経済による統合)から反動的統合(政治による支配)へと統合路線も変化し、解釈改憲路線にかわって明文改憲路線が台頭している。「明治100年」とは異なって、「明治150年」は明文改憲の動きが顕著となるなかで展開されている。
 「明治」を一面的に美化し、戦前・戦後を一括してとらえ、国威発揚をはかることがもつ今日的な意味(「明治100年」とは異なる機能)に注意したい。「明治」(さらに戦前)が大日本帝国憲法とともにあったことを忘れてはならない。  推進される施策は、「明治期全般の様々な取組や人々の活躍などを対象としたもの」だというが、3000件(2018年3月末の集計)を越える施策には、日清戦争も日露戦争もなく、台湾の植民地化も、朝鮮の植民地化もない。国内で噴出した様々な矛盾も消去されている。浮かび上がるのは、「戦争」と「アジア」と「民衆」を消去した「明治」である。リアルな「明治」の実相とはほど遠く、「精神」ばかりが称揚されている。
 安倍首相は、今年元旦の「年頭所感」で、「150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタート」したとして、「あらゆる日本人」が「力を結集」して「国難」を克服したと主張した。彼が言う「一億総活躍」社会を創り上げるため、「明治」を最大限に活用しようというのである。また、施政方針演説でも同様なことを語って、改憲論議によって「新たな国創り」を進めようと呼びかけた。
 ちょうど50年前、安倍首相の叔父、佐藤栄作首相のもとで「明治100年」記念事業が推進された。それは、第一に、「明治」を一面的に美化するという点で、第二に、天皇主権の大日本帝国憲法のもと、「戦争」によって対外膨張をはかった戦前と、国民主権の日本国憲法のもと、「平和」と「人権」を掲げた戦後を一括してとらえるという点で、第三に、歴史を活用してナショナリズムと国威発揚をはかろうとする点で、「明治150年」と共通している。 「明治100年」の際には、天皇への敬愛と愛国心、伝統と文化の尊重などを強調する「期待される人間像」が発表され、「建国記念の日」によって「紀元節」が復活した。「明治150年」は、愛国心や伝統・文化(「日本の良さ」)を強調する道徳教育の教科化と結びついている。さらに、日本国憲法が発布された「文化の日」(明治期の「天長節」、昭和戦前期の「明治節」)を、「明治を記念するに相応しい」日にしようとする「明治の日」制定運動が展開されている。「明治節」復活の目論見である。
 しかし、「明治100年」と「明治150年」の間には大きな変化もある。国際的には「冷戦」が崩壊し、国内的には高度経済成長が終焉した。こうしたなかで、保守的統合(経済による統合)から反動的統合(政治による支配)へと統合路線も変化し、解釈改憲路線にかわって明文改憲路線が台頭している。「明治100年」とは異なって、「明治150年」は明文改憲の動きが顕著となるなかで展開されている。
 「明治」を一面的に美化し、戦前・戦後を一括してとらえ、国威発揚をはかることがもつ今日的な意味(「明治100年」とは異なる機能)に注意したい。「明治」(さらに戦前)が大日本帝国憲法とともにあったことを忘れてはならない。
日本科学者会議東京支部つうしん No.607(2018.6.10)

「働き方改革」法案の撤回を
民間企業技術者・研究者問題委員会 委員 酒井 士朗

安倍政権と自民・公明・維新・希望の党が「働き方」改革法案の成立をゴリ押ししている。そもそもすべての労働団体と過労死遺族の会が過労死を促進するとして反対している法案を「働き方改革」などと偽って強行するなど道理がなく絶対に許されない。 JSA民間企業技術者・研究者問題委員会も、研究者・技術者の過労死・自死の根絶を課題として、東北大学の若手研究者やIT企業のSEプログラマー、田辺製薬契約研究員、病院看護士の過労自死問題などを取りあげ、事実解明と根絶のための課題の検討、過労死根絶運動への連帯などを進めてきた。これらに共通することは、過大なノルマを与えたり、慣れない仕事をやらせたり、多数の仕事を同時に与えるなど加重な「働かせ方」をさせながら労働時間も健康状態の把握も曖昧で健康を守る対応がなされていないことだ。従って労働基準法や労働安全衛生法が定める労働時間の制限と実態把握、安全配慮義務を雇用者にまもらせる雇用者の「働かせ方」の規制を具体的に強化する運動が進められてきた。 通常の時間外労働の上限を「週45時間、年間360時間」とする労働省告示や「月80時間は過労死ライン」とした過労死認定基準などは、こうした運動を反映したものだ。「働き方改革」法案は、過労死ラインを超える「月100時間」の時間外労働を合法化、労働時間法制の規制を受けない「高度プロフェッショナル制度」の導入により、長年の運動で実現してきた「働かせ方」規制の廃止を狙った資本の横暴であり、絶対に許せません。 「同一労働・同一賃金」のうたい文句も、実際には「同一労働・同一賃金」の原則は法案に書かれず、「合理的な理由」があれば格差が「合法」となる。非正規雇用をここまで増やしたのは、企業が安上がりの労働力として利用、都合に合わせて雇用や解雇するためだ。地域限定の仕事、繁忙期だけの仕事、メインの仕事でないなどを口実に賃金格差が温存される。 法案が明記する「多様な働き方」の拡大は重大だ。「地域限定社員」「仕事限定社員」さらにフリーランスの名で「個人事業者」の活用を喧伝する。いずれも「雇用責任」を契約で限定して「地域限定」では事業所が地域から撤退すれば解雇、「仕事限定」では「仕事が他の事業所に移れば、住居移転や遠隔地通勤を迫られる」。さらに「個人事業者」では企業は「雇用責任はない」と主張する。電機産業やNTTのリストラでは、生活破壊に猛威を発揮した制度だ。 「働き方改革」の狙いは、「雇用の流動化」にある。大学や企業の研究者は他の労働者に先駆けて1986年「研究交流促進法」で流動化させられ、また任期付き雇用の害悪を肌で実感している。研究者・技術者の地位や生活、労働条件は、国民のそれと無関係に保障されるものではない。いま起きている事態をしっかりと認識し連帯を強めて反撃しましょう。   (武蔵野通研分会 酒井 士朗)
日本科学者会議東京支部つうしん No.606(2018.5.10)

森友問題と公文書管理
中央大学教授(憲法・フランス公法) 植野 妙実子

 森友問題、加計問題、陸自日報、厚労省の「是正勧告」や働き方改革に関わるずさんなデータ、文科省の講演内容調査、財務省次官のセクハラ等、不祥事や不透明な事柄が後を絶たない。一体どうなっているのかと思うが、あきれるのは相変わらず平然と内閣が何事もなかったかのように、居座り続けていることである。
 国民主権に基づく民主主義は、国民の民意を中心として、政治が動く。民意は、選挙を通して、あるいは請願、言論やデモなどによっても表明される。重要なのはそうした政治的表明が行われる場合に、判断をするための材料が必要ということである。その材料を提供するのが、一般的にはまず報道であり、「報道の自由は、国民の知る権利に奉仕する」という位置付けになっている。次に、情報公開や公文書公開が国民の政治に関する判断を助ける制度として不可欠となる。どのような政治的事項がどのように決まっていくのか、国民はその目的やプロセス、適切性を知ることができる。今日では国家機能の増大化がみられ、それにともない、国家への情報の集中もみられる。国民が、必要とする情報にすぐにアクセスすることができ、それをもとに自由に意見や批判を述べる、判断を下すことができるようでなければならない。憲法21条1項の表現の自由の規定に、政府情報開示請求権まで直接認められるかについては議論もあるが、それがなければ、多くの疑問が闇の中に葬り去られてしまうことになる。そうした判断の材料の一つである公文書は重要であり、これが書き換えられることは民主主義の根幹を揺るがす問題である。森友問題においてはその判断材料である文書が改ざんされた。誰が、いつ、どのような目的で、どこからの指示で、あるいは指示はないのに「忖度して」、文書の改ざんを行ったか、未だに明らかになっていない。
 公文書の重要性が認識されたのは1999年である。同年5月、いわゆる情報公開法が成立、2001年4月から施行された。2000年、行政文書の管理方策に関するガイドライン(各省申し合わせ)も作られている。情報公開法の目的は、国民主権の理念にのっとり、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、政府の諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにすることで、公正で民主的な行政の推進に資することである。対象はすべての行政機関の組織的に用いられる行政文書である。これに呼応する形でいわゆる公文書管理法が2009年に成立した。その目的は、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政が適正かつ効率的に運営されるようにすること、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること、である。すなわち双方の法律はともに行政が説明責任を果たすことを要求している。森友問題の疑問が解明されない状況は、国民不在の政治が行われている状況なのである。国民を中心とする民主主義はどのようにあるべきかを基本に立ち返って考える必要がある。

日本科学者会議東京支部つうしん No.606(2018.4.10)

今こそ「水に落ちた安倍は打て」― 安倍政権打倒に向けての追撃戦が再開された
法政大学名誉教授  五十嵐 仁

 「こんなはずじゃなかった」と、安倍首相は思っているはずです。昨年の夏、支持率が急落して都議選で歴史的な大敗北に陥った危機を、突然の解散・総選挙と野党勢力の分断で乗り切ってきたのですから。今度こそ、改憲実現の時と意気込んで臨んだ通常国会でした。それが、これほど追い込まれてしまうとは夢にも思わなかったにちがいありません。
 通常国会開会の日、安倍首相は自民党両院議員総会で「我が党は結党以来、憲法改正を党是として掲げ、長い間議論を重ねてきた」と述べ、「いよいよ実現する時を迎えている。責任を果たしていこう」とハッパをかけました。「一強体制」を背景に、朝鮮半島危機を利用しながら改憲を実現しようと目論んでいたのです。
 しかし、その後の内外情勢の急変によって、この思惑は音を立ててくずれつつあります。南北会談や米朝会談が決まって北朝鮮と中国との首脳会談が行われるなど、朝鮮半島情勢は緊張緩和と非核化、和解と協力の方向にかじを切ろうとしています。
 この間、安倍政権は蚊帳の外に置かれたばかりか、頼りにしていたトランプ米大統領によって鉄鋼・アルミの輸入制限措置を課され、「彼らはいつもほほ笑みを浮かべている。その微笑の裏には、“こんなに長いこと、米国を利用できたことが信じられない”との思いがあるだろう。しかし、そのような時代はもう終わりだ」と名指しで批判される始末です。蜜月は幕を閉じ、外交的な孤立が深まりました。
 内政でも、「働き方改革国会」と意気込んで臨んだものの裁量労働に関する調査データの不備が判明し、謝罪して関連部分を削除せざるを得なくなっています。関連法案の国会への提出は4月にずれ込みました。
 昨年から大きな問題になってきた森友学園への国有地の格安売却についても、決裁文書の改ざんが発覚しました。健全な民主主義の基礎となり、国民の知る権利を保障するべき公文書が改ざんされ、それに基づいて1年以上も国会での審議が行われてきたという前代未聞の事態が生じていたのです。
 森友学園事件は、籠池前理事長の国粋主義的な教育理念に共鳴した「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」の関与と忖度によって小学校用地の取得に便宜が図られ、それを隠蔽するために公文書が改ざんされたということではないでしょうか。
 安倍「一強体制」による「毒」が官僚機構にも及び、政治と行政の私物化によって国政が歪められたということにほかなりません。戦後最低で最悪、異常で劣悪な政権によって、国政の土台がぶっ壊されてしまいました。これを立て直して立憲主義と民主主義を回復し、憲法を守り憲法に基づく政治を再生しなければなりません。
 そのためには、安倍政権を打倒することが必要です。昨年の夏、「水に落ちた安倍は打て」と書いて、私は政治危機に陥った安倍政権への追撃を呼びかけました。いま再び、政治危機に陥った安倍政権への追撃を、次のように呼びかけたいと思います。
今こそ「水に落ちた安倍は打て」と。