日本科学者会議東京支部


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< 巻 頭 言 >

日本科学者会議東京支部つうしん No.634(2020.8.10)

コロナ禍とジェンダー
植野妙実子(中央大学名誉教授)

 このところ東京の感染者数が連日200名を超え、全国でも感染者数が増加している(7月21日)。そうした中で政府は、Go Toトラベルを東京除外で行うことにした。全国的に感染者数が増えている今なぜ?という疑問には明確に答えていない。本来、Go Toキャンペーンは新型コロナが終息した時に行われるものではなかったのか。しかも始まる直前にもかかわらず細かなルールも定まっていない。第一、税金を使う事業に、同じように税金を払っている東京都民を外すことは明らかな「不平等」である。制度設計の不備が露呈している。
 新型コロナウイルスを原因とする死者数が少なく、日本は世界から一定程度押さえ込めていると評価されている。しかし政権の支持率は下がっている。それは透明性のない、説明責任を果たしていない政治が行われているからである。そもそも、モリ・カケ問題、桜を見る会、検察官の定年延長問題など、すべて問題が闇の中に葬り去られ、解明されていない。新型コロナ対策においてもPCR検査数の制限など、不可解なことが相次いだ。つまり、コロナ禍のような重大な危機において、政府に対して信頼がおけない、信用できないというのが、最も大きな我々の「不幸」である。政策として決まることには、まず目的があり、それを達成するのにふさわしい手段がとられるべきである。根拠やそれを説明できる一定の基準も必要である。しかし今の政策は場当たり的で、時には二転三転、一貫性がない。国民不在、国民の安全・安心・健康を真に考える政策に乏しいといえる。
 コロナ対策の政策の中には、とりわけジェンダーの視点に欠けた政策が見られる。例えば、安倍首相は2月27日独自の判断で突然の全国一斉の学校の休講の要請をした。専門家会議にも諮らず、省庁間の調整もないものであった。その必要性や根拠についての説明は曖昧であった。全国一斉の学校の休講の影響は大きい。子どもの学習権のみならず特に女性に対して影響が及ぶ。誰が実際子どもの面倒を見るのか。共働きの場合は、結局女性が仕事を休まざるをえなくなる。ましてやシングルマザーは、泣く泣く子供を一人おいて仕事に出るか、仕事を休むか選択しなければならない。その必要があるというなら、はっきりと根拠を示し、その上でどのような影響があるのか見定めながら、手立てを講ずることが必要であった。
 国民に一律に給付された特別定額給付金の支給方法も問題であった。世帯主にまとめて給付する方法をとった。この方法では世帯の中の力関係によっては各個人に行き渡らないという問題が生じる。別居中の妻にも、夫のDVに苦しむ妻にも行き渡らない可能性がある。選挙の投票用紙も同様の方法をとっているが、単身赴任をしている住民票を動かしていない人は選挙に行かない可能性がある。世帯単位ではなく、個人を基準とする制度に転換すべきである。個人の尊重こそ平等の基本である。
 コロナ禍は経済的弱者に厳しい現実をもたらした。非正規で働く女性、貧困に喘ぐ家庭、こうした人たちは政治に声を届けられない。憲法の生存権や平等の理念に立ち返る必要が今ある。

日本科学者会議東京支部つうしん No.633(2020.7.10)

コロナ禍と大学、学生生活
JSA 東京支部事務局長 米田 貢

 6月13日大学フォーラムの緊急オンラインシンポ「コロナ危機のもとでの学生支援―何が問題か? 何を主張するのかー」が開催された。高等教育無償化プロジェクト、全国大学院生協議会、Change Academiaから3名の学生・院生が、コロナ禍における学生・院生の窮状とその打開策について報告・提案し、全大協、日本私大教連、東京私大教連、日本科学者会議からも関連する報告がなされた。
 新型コロナ禍の怖さは、このウイルスの特性による感染拡大の広がりという医学的、疫学的な問題にとどまるものではない。それは、感染拡大防止・抑制のための必須条件とされている「3密(密閉・密集・密接(濃密)」の回避が、人間社会の本質である政治・経済・社会の様々なレベルでの諸個人間の社会的関係の構築や、抱擁・会食・音楽・スポーツ、その他多様な機会・形態での他者との身体的・精神的交流による一体感の共有の抑制を伴わざるをえないからである。さらに、この「3密の回避」は、「巣ごもり生活」による突然の個人的消費=需要の収縮・消滅によって、商品の生産と販売を基礎とする資本主義経済を地球的規模で未知の混乱に引きずり込んでいる。多くの市民、企業が、感染拡大防止と普通の社会・経済生活の継続とのはざまでストレスをため込んでいる。
 大学で学ぶ学生は、社会的には学業が社会的使命とされ、経済的自立は求められていない。だが、国公私立を問わず高い授業料と日本経済の長期停滞による親の経済的困難からわずかな仕送りしか受けられない多くの学生は、アルバイトをすることなしに学生生活を維持することができない。大学生協連の調査によれば現在学生の73%がアルバイトをしており、その4人に1人は仕送り額が5万円未満である。窮状を訴えて署名活動を行ってきた学生に押されて、政府は慌てて学生支援緊急給付金制度を設けたが、他の支援金・給付金と同じく申請条件・手続きが制限的で複雑であり、また支給金額も最大で20万円で予算額もわずか531億円にすぎない。休業や自粛要請によって職を失った学生アルバイトが回復しなければ、経済的理由で大学を退学せざるをえない学生が増加することは疑いない。
 緊急事態宣言に併せてSTAY HOMEが呼びかけられた。家が無い人々の困惑と絶望と共に、家があっても、ソファで寛ぎペットと戯れて過ごしたくても、また在宅勤務をするにも、我が家には十分な広さも快適さも無いことに気づいた人々は少なくないだろう。ましてや感染軽症者の自宅待機は論外だろう。
 同時に、大学人として看過できないのは、科学を含む学術の継承発展というきわめて公共性の高い研究・教育サービスを社会に提供する使命をもつ大学が、私的利潤追求のみを目的とする財界の効率化論理に蝕まれてきたことがある。すべての市民に開かれた大学、かつての夜間部で学んだ勤労学生と同様に働きながら学ばざるをえない学生の権利を守るために、大学人の大同団結が求められている。

日本科学者会議東京支部つうしん No.632(2020.6.10)

新型コロナウイルス禍の住宅危機に抗して
中島明子(和洋女子大学名誉教授・NPO すみださわやかネット)

 新型コロナウイルスの感染拡大が起こると、まず住まいの無い人々や、低質シェアハウスや無料低額宿泊所等の、過密で不衛生な場所で起居している人々の感染が心配された。
 そして4月7日に緊急事態宣言が発せられ、さらに5月末まで延長になると、営業自粛要請による経営危機、生活困窮の次に、家賃や住宅ローン返済金の滞納といった住まいの危機が現れる。とりわけ生活基盤の弱い非正規雇用の人々、フリーランス、自営業の人々にコロナ禍は襲い、事業所・店舗の休業、閉鎖、倒産等により収入が激減し、住宅費が賄えず路上に押し出される危険もある。
 去4月18日19日に、弁護士や支援団体による全国一斉何でも相談会が開催された際、新型コロナによる解雇や雇い止め、住まいの確保等について約4,800件もの切羽詰まった人々の相談が寄せられたという。
 緊急事態宣言に併せてSTAY HOMEが呼びかけられた。家が無い人々の困惑と絶望と共に、家があっても、ソファで寛ぎペットと戯れて過ごしたくても、また在宅勤務をするにも、我が家には十分な広さも快適さも無いことに気づいた人々は少なくないだろう。ましてや感染軽症者の自宅待機は論外だろう。
 型コロナ禍は、日本の住宅事情の悪さと住宅政策・居住支援の貧困を浮き彫りにした。特に住宅事情が厳しい東京では顕著である。
 さらに深刻な問題は、住宅という密室の中に籠ることを強いられることで、親密なパートナからの家庭内暴力(DV)や児童・高齢者虐待がより一層拡大することが懸念されている。それは外から見えないために支援が難しい。行政も多くの関係者、支援団体も働きかけを強めている。国連ウイメンは早くからコロナ流行下のDV増加に警告を発している。
 うした中で、いくつかの市民運動の成果が見られた。一つは、都内に約4000人と言われるネットカフェで起居している人々へ、東京都が「個室」のホテルを提供したことだ。
 二つには、「住居確保給付金」制度の改善である。これは、リーマン・ショック後に導入された事業で2015年度から国の制度となった唯一国の家賃補助制度である。しかし主旨は失職した人への再就職支援として使い勝手が悪かった。支給金額や期間(原則3カ月)等は同じだが、その他の要件が緩和されて以前より利用しやすくなった。
 もう一つは、10万円の特別定額給付金と児童手当の受給方法である。被害者である世帯主と別居して暮らしている女性とその子どもの受給が可能になった。但し、この給付金について、路上生活の人々は、「受けられる」とされたが、実質的に受給できず諦めた人が多い。最も必要な人には渡らないことになる。
 欧米各国では、家賃補助の増額、賃貸料の猶予や契約解除の禁止等がされている。
 私たちはどのような災害があっても住まいに窮することなく、安全で安心して住める社会を実現したい。家賃補助制度を確立し、多様な社会住宅を供給し、住生活基本法に“住まいの権利”を掲げることだ。

日本科学者会議東京支部つうしん No.631(2020.5.10)

新型コロナウイルスによる社会的危機に JSA はいかに 対峙すべきなのか
JSA 東京支部事務局長 米田貢

 (1)政府は感染拡大の実態を全面的に把握し、公表する義務を怠っている
 5月1日に、新型コロナウイルス問題に関する専門家会議は、緊急事態宣言後の感染拡大について、新規感染者数は減少傾向にはあるものの医療現場は逼迫状態(医療崩壊の危機)にあるとの見解を示した。それを受けて政府は、新たに1カ月間程度の緊急事態宣言の延長を表明した。市民や企業は、不急不要の外出の自粛や休業・営業自粛・在宅勤務の要請の継続を受け入れつつも、このような状態がいつまで続くのか、ウイルスに感染する前に生活そのものが破綻してしまうのではないかとの危惧に直面している。
 日本政府は、この間37.5度以上の発熱が4日間続いている患者や、肺炎にかかっている患者すらPCR検査が受けることができない抑制された検査体制をとってきた。政府発表の感染者数が感染実態を反映していないことは、東京のあるクリニックがHPで希望者を募って行ったウイルス抗体検査で202名中、12名が陽性(5.9%)、うち医療従事者を除く一般市民では147名中7名が陽性(4.8%)であった(『東京新聞』(2020年4月30日付)ことからも明らかである。一般市民の感染率4.8%を1390万人の都民全体に当てはめると、66.7万人以上の都民(20人に1人)がすでに新型コロナウイルスに感染していることになる。
 2)感染拡大の収束の見通しと集団免疫
 ドイツのメルケル首相は感染拡大の早い段階で、専門家の意見をふまえて、このままではドイツ国民の6~7割が感染する恐れがあると言明した。第一次世界大戦当時、世界人口の1/3~1/2が感染し、死亡者数が5000万人~8000万人に達したとされるスペイン風邪再来の可能性の警鐘を鳴らし、感染拡大は集団免疫が獲得されるまで続きうると高いリスクを市民に率直に語り、市民の覚悟を促し、政府の危機管理策への協力を求めたものである。
 これに対して、日本政府が頼りにした専門家会議がとったクラスター感染重視(それに特化した)の感染拡大防止策はあまりに近視眼的で、部分的なものではなかったのか。新型コロナウイルスの特徴をふまえて、感染はいつ、どのような形で収束していくのかの見通しが示されないままに、十分な補償もせずに一方的に市民や企業に対して自粛要請がなされた。抑制された検査体制のもと、実際に感染はしていたが無症状や軽症にとどまった若者や市民が、警戒心を持つことなく普段通りに学校や仕事に行き感染が広がった。政府は、これまでの感染防止策の誤りを認め、徹底したPCR検査と可能な限り多くの市民の抗体検査に踏み出し、何としてでも政府の責任で崩壊に直面しつつある医療現場をただちに立て直さなければならない。
 3)新たな社会的危機に立ち向かうには、社会的合意、国民的合意が不可欠である
 緊急事態宣言の1カ月間の延長によって、新型コロナ危機は未曽有の経済的危機を生み出しつつある。必死の思いで経済の長期停滞をかろうじて凌いできた自営業者や中小零細企業の多くは、内部留保をため込んできたグローバル大企業と異なり、日銭=日々の営業収入が頼りである。緊急事態宣言後の1カ月間の休業や営業自粛で、すでに事業継続は困難になり生活のめどが立たなくなっている。2000万人を超える非正規労働者を中心に多くの労働者が職と賃金を失いつつある。いま政府に求められているのは金融的支援や部分的な補償ではなく、生活困難者の全面的な救済である。だが、そのためには巨額の財政支出が必要である。GOP比で200%を超える政府債務を抱えている日本では、財政規律を重視してきたEU諸国や基軸的国際通貨国のアメリカと異なり、緊急事態下であるとはいえ財政支出のさらなる拡大には新たな国民的合意が必要であろう。
 経済的な問題以外にも、特効薬やワクチンの開発に期待しつつも、集団免疫に至るまでの間どのようにして社会を維持・存続させるのかが、人類全体に、そしてそれぞれの国の国民に、一人一人の市民に問われている。市場経済、すなわち商品と貨幣との交換が生活と生産のすみずみにまで浸透している現代社会でソーシャル・ディスタンスをどこまで確保できるのか。密閉・密集・密接(濃密)を回避して本当に学校生活、企業活動は成立しうるのか。保育所や病院、高齢者施設で接触なしのサービスに人々は満足できるのか。カネ、モノだけでなくヒトまでもが世界中を自由に往来するグローバル段階で外国からの新たなウイルスの侵入をどのようにして阻止するのか。いずれの問題も、市民社会レベルでの新たな社会的合意、国レベルでの新たな国民的合意が不可欠である。新たな社会的危機の進展に対して科学者としての立場から時代を見据え、新たな社会的合意の成立に向けた努力がJSAに求められている。

日本科学者会議東京支部つうしん No.630(2020.4.10)

植民地支配克服と世界の潮流
東京大学 総合文化研究科 岡田泰平

 植民地支配とは、近代的な現象であり、人種的他者による立法権の奪取と行政権力による社会改革である、と一応は言えよう。また、人種差別を中心的な価値としつつも、その理念とは、「発展」をもたらすことだった。
 世界史的にみると、19世紀末には近代的な植民地支配が拡大し、20世紀初頭には地上のほぼ全てが、帝国の中核地域か、植民地支配を経験した地域か、植民地そのものだった。中国のような例外でさえ、清帝国の崩壊と列強の侵出に苦しみ、「半植民地」に陥っていく。このような状況は、1930年代末には危機を迎え、レーニンの言う帝国間の戦争が勃発する。植民地における独立運動とも複雑に関係するなかで、世界大戦へと陥っていく。アジア諸国に目を向けると、日本敗戦を契機として、植民地が国民国家として独立を果たしていくことになる。
 帝国にも(半)植民地にもなったことのない国家は極めて稀なのであり、地球上のほぼ全ての人々が、植民地支配をした側か、支配された側だったことがあるのだ。立場は異なると言え、植民地支配への関わりは人類の共通経験である。国民国家が地表上を覆った20世紀後半には、この点からは、一応は植民地支配の克服はなされた、と言えよう。
 さて、今現在私たちは、植民地支配とは異なる世界共通体験のなかにいる。いまだに感染源不明のコロナウィルスが、この先、どれくらいの人に死をもたらすのかは予想すらつかない。この危機が世界をどのように変えていくのかは、予見もできないが、植民地支配の歴史と比べると次のことが言える。
 一方では、19世紀末と同様に、私たちは圧倒的な貧富の格差の大きい世界に生きている。例外はあるとしても、豊かな北は帝国を継承し、貧しい南は植民地支配を受けた地域である。この度の危機は、貧富の格差が死に直結する危機そのものであることを、改めて突きつけるだろう。その際に、南や国内の貧しい人々と、共に歩むことが求められる。貧困層を助けるためには私たちが彼らを「管理」しなければならないであるとか、貧困層こそが感染源であり排斥しなければならないなどという、植民地主義の亡霊の復活は断固妨げなければならない。
 他方では、コロナ禍は行政上の問題でもある。現在、北米や西欧といった帝国の中核だった地域が、もっとも苦しんでいるのは、歴史の皮肉と言えるかも知れない。死か、行政権力の肥大化か、という二者択一に傾いていくなかで、どのように日常生活を守ることができるのだろうか。私たちは、市場経済のために労働者に死をもたらしかねないトランプ主義にも、自らの責任を顧みず行政権力の肥大化を誇る習近平のやり方にも抗さなければならない。
 このような危機における日常的な抵抗こそが、植民地支配克服の現時点と言えるのであろう。

日本科学者会議東京支部つうしん No.629(2020.3.10)

日本科学者会議の輪を広げる取り組みへのみなさまのご参加とご協力を
JSA 東京支部組織部長 森原 康仁

 会員拡大特別強化月間(2 月~4 月)の滑 りだしは好調です(東京科学シンポの前後で 10 名新たに入会)。
 すべての会員の努力で 5 月 24 日の支部大 会までに今期の目標 50 名の新たな会員を迎 えましょう。
 日本科学者会議は、科学を人類に役立て正 しく発展させるために、科学研究に携わる科 学者がその社会的責任を自覚し、科学の各分 野を発展させ、その成果を平和的に利用する よう社会に働きかけることを目的とした総 合的な学術団体です。「科学」は「知」と言 い換えてもよく、人文・社会・自然科学にく わえ、法曹や教育など専門性に裏付けられた 知をもつ多彩な会員を擁するのが本会の特 徴です。
 さて、1 月 26 日に開かれた第 4 回幹事会 は、本会の輪を大きく広げるためにあらたな 取り組みを開始することを確認しました。 具体的には、会の中で会員拡大を意識的に 進める部分が不可欠という認識のもとに、
 ① 各分野の状況把握を集団的に進める、
 ② 分野ごとに会員拡大の方策を具体化する
  (たとえば、若手については後継者の 育成と
  いう観点からも 40 代の若手、OD、 現役院生
  といった若手の中での世代間 交流を進めるなど)
という 2 点の取り組みを進めることになり ました。
 また、「意義や理念は理解できるが、日常 的な取り組みがないため辞めてしまう方が いる」という意見が出されました。とくに弁 護士や自然科学の分野では独自の取り組み の必要性が指摘されました。さらに、会誌で ある『日本の科学者』の執筆の輪を広げるこ とで、まだつながっていないあらたな方への 入会の働きかけを進めることが重要だ、とい う意見も出されました。
 『同時に、日本科学者会議の会員数が顕著に 増えた時期の取り組みを学ぶ場も設けたい と考えています。
 上述のように、本会は学術・科学の発展に とってなくてはならない「器」です。先般開 かれた東京科学シンポジウムの記念講演を 引き受けてくださった新聞労連委員長・元朝 日新聞政治部記者の南彰さんは、研究者や専 門家がその社会的役割を自覚して活動して いることに大きく感銘を受けておられまし た。私たちが考える以上に、日本科学者会議 の活動は必要とされています。
 日本科学者会議の輪を広げる取り組みへ のみなさまのご参加とご協力を心よりお願 い申し上げます。

日本科学者会議東京支部つうしん No.628(2020.2.10)

今に生きる「寅さん」の心
東京都教職員組合 工藤 芳弘

 映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公 開された。第 1 作は 1969 年。それから 50 年 目に当たる昨年に映画は完成した。1995 年ま でにシリーズ 48 作。渥美清さんの死後、「寅 さんにもう一度会いたい」という声に応え、 『寅次郎ハイビスカスの花』(第 25 作)を全 面的にリニューアルし、過去の名シーンも加 えた特別篇(第 49 作)も作られた。今回も同 様に、過去の映像とともに寅さんが第 50 作目 としてよみがえった。
 「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。 帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。 人呼んで、フーテンの寅と発します」。『男は つらいよ』といえばこのセリフにピンとくる のが寅さん世代だろう。このセリフがスクリ ーンから消えて 4 半世紀も経った。『男はつら いよ お帰り 寅さん』にはそんな思いが込め られているのかもしれない。
 それにしても、寅さんの失恋で終わるワン パターンの映画が、多くの観客の笑いと涙を 誘い、全 48 作品という大作として愛され続け てきたのはどういうことなのか。「寅さんは好 きだが、寅さんみたいな人が身内にいたら大 変だ」などということもよく耳にした。そん な寅さんを、みんなが愛してきた。『みんなの 寅さん』という寅さん本も出ているのだ。
 山田洋次監督は、「『男はつらいよ』シリー ズは今から半世紀前に誕生した。その頃日本 経済は右肩上がりで一生懸命働けば報われる、 今に豊かな時代が来る、という実感の中で日 本人の心は充実していた。『寅さん』はそんな 時代の日本の民衆が求めていたキャラクター だった。真の幸福とは何か、という考察を離 れて物質的豊かさのみを目指す自分の姿の恥 ずかしさを、笑い飛ばすことによって自ら慰 め、安心する、それが寅さんシリーズの魅力 だったのではないだろうか?」と語っている。
 しかし、寅さんの時代と今の時代は余りに も様変わりしてしまった。「管理社会」「格差 社会」「貧困化」など、生きづらい時代が今だ。 人々の生活にはいつも「不安」がつきまとっ ている。寅さんが愛したこの国の風景は姿を 消したかのように思えてならない。今の時代 に、寅さんの生きる余地はあるのだろうか。
 そこに『お帰り 寅さん』と 50 作目だ。 迷いの中にある甥の満男が、「こんな時、お じさんがいたらどうするだろう」と回想し、 「伯父さん、人間は何のために生きてんのか な」と聞いた時のことを思い出す。寅さんは、 「生まれて来てよかったな、って思う事が何 べんかあるんじゃない。そのために生きてん じゃねえか」「そのうちお前にも、そう言う時 が来るよ。まぁ、がんばれ」と応える。(第 39 作『男はつらいよ寅次郎物語』)
 『男はつらいよ』は、ある意味、満男の成 長記録だとも言える。今に生きる満男の中に、 寅さんは生き続けているのだ。そして私たち の心の中にも・・・。第 50 作目の『男はつらい よ』は、そのことを訴えているような気がし てならない。

日本科学者会議東京支部つうしん No.627(2020.1.10)

第20回東京科学シンポから23総学へ
JSA東京支部代表幹事 松永 光司

 新年おめでとうございます。激動の国内外 情勢のもとで日本の社会も暮らしも大きな転 換点を迎えつつある2020年、今年もみなさま と力を合わせて前進したいと思います。
 昨年を振り返りますと、東京支部最大のイ ベントは 11 月 30 日、12 月 1 日に中央大学多 摩キャンパスで開催した東京科学シンポジウ ムでした。隔年開催のこのシンポジウムはち ょうど20回を迎え、メインテーマ「理性と希 望の平和な時代を拓く―実現しよう、個人の 尊厳と生活の安心―」のもとに、2つの特別 報告、20 件の分科会、市民参加の 5 件の展示、3 つのプレ企画を実施しました。なかでも分科 会では71件の多彩な発表があり、シンポジウ ムの充実に大きく貢献しました。参加者数は、 分科会に延べ約 260 人、プレ企画を合わせた 総参加者数は延べ約 350 人にのぼりました。 案内チラシを握って受付に来られた方など、 少なくない市民の方が来場され、分科会で熱 心に発言されていた姿が印象的です。東京科 学シンポジウムでは、国民の直面している切 実な問題と正面から向き合い、市民と連帯を ふかめることを伝統としてきました。分科会 のこうした様子もその伝統を生き生きと示し ています。そしてこの期間に 8 人の入会者を 迎えたことは大変うれしいことです。こうし て全体としてこの第20回東京科学シンポジウ ムは大きな成功を納めました。実行委員、会 場校関係者のみなさま、参加者のみなさま、 そして、シンポ募金で財政を支えてくださっ た方々に心から感謝いたします。「私たちは真 理の探究者であるとともに、国民の意識する もろもろの要求の表現者であり、科学的根拠 の提供者でありたい」との視点を基本に今後 も努力を重ねたいと思います。
 ところで今年は、第 23 回総合学術研究集会 (23 総学)の開催年です。東京支部は担当支 部となり、関東甲信越 9 支部と協力して、12 月4~6日、都内の大学を会場に開催するこ ととなりました。
 いま安倍政権は、安保法制・戦争法強行か ら9条改憲策動、「桜を見る会」問題に至るま で立憲政治を破壊しファッショ化へ暴走し続 けています。また安倍政権は「研究力低下」 論を振りまいてアベノミクスの破綻を「研究 力低下」に責任転嫁し、さらにこれを理由に 大学への介入を強め、大学・学術の危機は深 刻さを増しています。こうした経緯が示すよ うに大学・学術の危機は国民生活の疲弊・危 機と深く結びついており、研究・教育者とし ての特有の課題・要求も、広範な国民各層と の連帯・共同にもとづいてのみ根本的な解決 がはかられます。
 そうした広範な連帯・共同を求め、学術の 現状と国民生活について様々な視点から議論 ・交流を深める場として、23 総学は大きな意 義をもっています。東京科学シンポジウム成 功を力に、支部会員みんなの力を集め、23 総 学を成功させようではありませんか。

日本科学者会議東京支部つうしん No.626(2019.12.10)

経済産業省主導の「教育ICT」の問題を問う
大東文化大学文学部教育学科講師 中村 清二

 日本は災害列島である。毎年、日本各地で人 的被害を伴う“自然災害”が起きている。
 この間の教育政策では、官邸・経済産業省 主導の「教育の ICT 化」が進められている。 それは、幼児教育から高等教育まで、特定企 業が一人ひとりの行動や育ち・学びの履歴、 テスト結果をビックデータに集積・管理し、AI が個別最適化された学びを導くという構想だ。 国家戦略としてこれを進めるという。
 先端情報技術の活用を謳うのが「教育の ICT 化」だが、先端性や効率性の利点ばかりが喧 伝される。しかし、看過すべきでない教育学 的視点がある。たとえば、健康や発達段階と の関連、学びに欠かせない共同性、感性の組 み尽くせない豊かさ、メディア・リテラシー などとの関連、いくつもある。さらに、公教 育が担ってきた教育の平等性や公共性、教職 員の働き方やその専門性まで変質させる危険 性があるからだ。
 滋賀県で開催された夏の全国教研「教育の つどい」では、こうした状況を検討するフォ ーラムが設置されていた。東京から報告され たのは、「どうして?」「なんで?」と聞いて いるのに「はい」「いいえ」で答えてしまう子 どもたちの姿。また、家庭学習と称される大 量の宿題(学年× 10 分という設定)、多くの 習い事、学校での授業の長時間化などから来 る、疲労感の蓄積。加えて、低中学年の子ど もたちに欠かせない「具体的活動」が、ICT 機器を使った授業によって減少していること。 大阪では、府独自の「チャレンジテスト」や大阪市独自の学力テストなど、合わせて年 10 回以上もの学力テストが実施。特に、「チャレ ンジテスト」が高校入試の内申点に反映され る。京都の高校現場では、すでに相当な規模 で、日常的に民間教育産業が入り込んでいる。 テストや検定、教材や宿題、学習記録、教職 員研修にまで多岐に渡る。
 ある高校の年間行事計画が目を引く。1 年 生から 3 年生まで、企業名を冠したテストや サービスが 2 ヶ月に一回以上のペースで予定 される。日常的にはさらに希望者のみの講座 や教材配信システム活用が推奨される。そこ に、「学びの基礎診断」や大学入試への民間英 語検定の導入が拍車をかける。高校はすでに サービスを提供する場所で、企業の支店さな がら、教師はその窓口担当者だ、という。
 児美川孝一郎さん(法政大学)は、ICT 活 用による「個別最適化された学び」等の推進 が、学校を規格化し、教育を経済市場へ開放、 ひいては教育の公共性を「融解」させつつあ ると報告。エリート向けには「主体化」を、 そうではない作業層には「規律化」を求める という二つの人間形成像が今般の学習指導要 領で打ち出されたという。
 それに対抗するには、危機感を広く共有し てもらうこと、学びの共同性、私たちの「キ ャリア教育」などを積極的に構想する必要が あると述べていた。

日本科学者会議東京支部つうしん No.625(2019.11.10)

近年多発する災害を考える
東京都土木技術支援・人材育成センター 技術情報専門員 中山 俊雄

 日本は災害列島である。毎年、日本各地で人 的被害を伴う“自然災害”が起きている。
 2018年は2つの地震災害と、西日本豪雨災害を 含む水害があいつぎ、この年を表す漢字として 「災」が採用された。今年に入っても災害は続いて 起きている。とりわけ9月の台風15号での南房総で の被害、さらに追い打ちをかけるかのように10月の 台風19号と10月24~25日の低気圧に伴う大雨が 関東、東北地方を襲い、各地に大きな被害がもた らしている。
 台風15号の災害は暴風雨による。南房総の家 屋に大きな被害(特に屋根瓦被害)を与えるととも に、送電線鉄塔の倒壊、倒木による架線事故によ り長期にわたる停電を引き起こした。台風19号と続 く大雨は、東日本各地での堤防決壊(52河川73ヶ 所)、家屋浸水が起き、死者90名、行方不明者10 名という人的被害を出している(消防庁10月29日)。
 今回の災害の素因としては、各地で観測史上 最大の降雨量があったことと、台風が相継ぎ関東・ 東北地方を襲ったことにあるが、被害が多発した 原因を素因だけに求めることは出来ない。被災地 調査が十分に進んでいる状況ではないが、例え ば、新幹線車両が水没した長野市穂保地区での 堤防破堤は、河道幅が狭くなる区間にあたり、河 川敷には流量阻害する樹木が繁茂している。昨 年の西日本豪雨での倉敷市真備町での災害、高 梁川の支流の逆流(バックウオーター現象)による 堤防決壊と酷似している。河川を管理する国交省 地区千曲川工事事務所では、この地点の堤防高 が、他より低い所であり要警戒地点であったという(10月14日東京新聞)。2015年常総水害と全く同 じ現象がまた繰り返されたのである。堤防決壊を 防ぎ越流だけにとどめる工法があることは、河川管 理者にとっては自明のことである。
 2018年北海道胆振東部地震の時に、私は札幌 におり地震による停電を体験した。電気が止まると いうことが、いかに日常生活に大きな影響を与える かを痛感した。電気は都市機能維持の生命線で ある。
 この停電は北電の電力系統に問題があり起き たものと思っていたが、今回の15号台風による停 電原因をみると、東電の電力供給への防災対策 に大きな問題があることが明らかになった。この2 つの台風による災害誘因は、いずれも、過去の災 害事例を真摯に受け止めていなかったことにあ る。近年の災害では、直接死よりも災害関連死が 大きいことが指摘されている。報道される避難所の 状況は、1995年兵庫県南部地震での避難所の状 況と全く変わっていない。
 同じ災害国であるイタリアでは、災害に学び、災 害防護国民サービス設置法(1992)を制定し、被 災後ただちに被災者にトイレ、キッチンカーによる 食事、ベッドが準備されるという。被災生活が日常 生活と離れたものにしない対策が取られている。 国土強靭化をうたいながら、防災対策が遅れ、被 災者の生活再建支援法の改正要求にも目をつぶ る現政権の施策が最大の災害拡大誘因である。 社会構造の変化とともに災害は進化する。我われ が対処すべき相手は、隣国でなく来るべき直下地 震、富士山噴火、巨大豪雨である。

日本科学者会議東京支部つうしん No.624(2019.10.10)

2019参院選 低投票率をどう見るか
東京慈恵会医科大学 小澤 隆一

 日本は災害列島である。毎年、日本各地で人 的被害を伴う“自然災害”が起きている。
 さる7月の第25回参議院通常選挙は、史上2番 目の低投票率(48.8%)という結果であった。また、 全国約47000の投票区から188を抽出した集計で は、18歳が34.7%、19歳が28.1%という数字が上がっており、「民主主義の危機」との指摘も聞こえる。 これらの数字をどう見たらよいか。
 以下は、過去のいくつかの参院選との対比を示 す表である。
参院選(回数・年) 全体投票率 20 歳投票率 19 歳投票率 18 歳投票率 備 考
15 回 (1989) 65.0% 41.6%
17 回 (1995) 44.5% 22.9% 投票率最低
20 回 (2004) 56.6% 33.0%
24 回 (2016) 54.7% 34.8% 39.7% 51.2%
25 回 (2019) 48.8% 28.1% 34.7%

 若者の投票率の低さは、今に始まったこと ではない。しかも全体の投票率の高低と連動 している。低投票率問題は、まずもって、す べての年代層の問題としてとらえる必要があ る。その点で、注目すべきは、前回2016年と 今回の参院選における東北 6 県での投票率で ある。自民党候補と野党統一候補との一騎打 ちとなった 6 県の選挙区選挙は、前回は野党 の5勝1敗、今回は4勝2敗と、自民党の単 独過半数や改憲勢力 3 分の 2 を阻止するのに 大きな役割を発揮した。これら野党統一候補 が勝利した東北各県では、前回を少々下回る 投票率をキープしたところが目立つ。候補者 の陣営と有権者の熱意が一体化した選挙こそ、 投票率もアップするし、それにより自民候補 を打ち破ることができることを示している。なお、若者の投票率は、20 代の前半、とくに 20 ~22歳当たりの投票率が顕著に低く、25歳か ら30代、40代と投票率が上昇していく傾向が ある。前回2016年の参院選は、「18歳選挙権」 が実現して初めての国政選挙であったことか ら、高校生も含む18歳の投票率は、全体平均 並みの「高さ」をキープした。その一方で、19 歳は、20 歳の数字に近づいている。今回の参 院選では、18歳の投票率は若干高いとはいえ、 19 歳や 20 歳など大学生が多くを占める年代の それに近づいたとみることができる。
 こうしてみると、若者の低投票率問題は、「学 生問題」としての性格を有しているといえよ う。2015 年に明るい選挙推進協会が行った調 査によると、親元を離れて暮らす大学・短大 生のうち、住民票を移しているのは 26%で、 63%は移していない。選挙区外から投票用紙 を取り寄せて期日前投票と同様に投票をおこ なう「不在者投票」の制度もあるが、自治体 によっては、居住実態のない申請者に対して 不在者投票を認めないところもある。若者の 低投票率問題は、ティーンのうちからの主権 者教育の充実も必要だが、投票を阻害しない よう制度改革も求められると言えよう。
日本科学者会議東京支部つうしん No.623(2019.9.10)

それでも女性たちは着実に歩み続ける
駒澤大学経済学部教授 姉歯 曉

 日本の女性たちが初めて「人間として」の尊厳 を認められたのは新憲法のもとでであった。女性 が自立した個人として認められる、それが憲法24 条の精神であった。しかし、その後、旧支配層が 巻き返しを図るや、女性解放の歩みは押し戻され ていく。
 日本国憲法の成立後も実質的効力を持ち続け る家制度は、資本主義の再生過程で打ち捨てら れるどころか、見事にリサイクルされていった。農 家の女性たちは変わらずタダ働きを強いられ、憲 法上は認められているはずの財産権も実際には 農家の嫁には認められなかった。農家女性たちが 「嫁」から「フレッシュ・ミズ」と呼ばれ、「田舎のヒロ イン」と褒め称えられる時代になっても、家事に育 児、介護のほとんどは変わらず女性たちの肩に背 負わされ、資産は貯金と車だけである。女性労働 者の方は、かつて結婚年齢なるものを盾に「肩た たき」が行われたのだが、今はそんな強制力を働 かせることはできないし、そんなことをする必要もな い。夫の転勤、子育ての負担、親の介護に直面し た時に女性たちは「自主的」に離職するからであ る。とはいえ、非正規で働き続けなければ家計は 成り立たない。非正規としての差別的待遇に押し 込められる女性たちは経済的自立から遠ざけられ たままである。
 そして、今、右派が憲法9条と並んで攻撃する のは憲法24条である。両親に祖父母、子どもたち で構成される「伝統的家族」という幻想を利用して 家父長制の根幹をなす「家」の従属物としての女性の姿を取り戻そうとしている。しかし、女性やLG BTに対して幾度も繰り返されるヘイトは、実は反 乱の狼煙に支配層が狼狽している証拠でもある。
 伊藤詩織さんの告発、Me Too#やKu Too#の 広がりを前にして、右派勢力は焦っている。アンテ ナを張り、火の手が上がりそうだとなれば直ちに動 員をかけ延焼を食い止めようとする。少しでも妥協 してしまったら、そこから一気に支配のシステムが 崩壊する、そのことを想像しただけで恐怖で居ても 立っても居られず、部屋の中をうろうろ歩き回る彼 らの姿・・・「生産性発言」や「レイプ無罪判決」の繰 り返しからはそんな光景が浮かんでくる。
 では、女性たちはこれからどうしようか。米田佐 代子氏はこう述懐する。「いくども『だまされて』きた 女たちは、まだ疑い、あたりを見回し、子どもを抱 きしめてためらいながらも、自らの足で大地をふみ しめ、みずからの手で一歩ずつけわしい坂道をの ぼりつめる道をえらびつつあったのである。(永原 和子・米田佐代子『おんなの昭和史』(増補版)お んなの平和な明日を求めて』有斐閣選書1996年、 176ページ)」
 これからも騙されるかもしれない、利用されるか もしれない。それでも歴史が示してくれるのは、押 し戻されても女性たちはまったく同じ地点には戻ら ないという事実である。狼狽せず、諦めず、分断工 作に乗ることなく、「万国の女性たち、団結せよ」な のである。

日本科学者会議東京支部つうしん No.622(2019.8.10)

改憲3分の2議席阻止に確信を持ち、総選挙で革新共闘の勝利を
法政大学名誉教授 五十嵐 仁

 参院選の投開票日翌日の朝刊には、「与党勝 利」(読売)、「自公改選過半数」「改憲勢力2/3は 届かず」「野党共闘1人区10勝」(朝日)などの見 出しが躍っていました。果たして与党は勝利した のでしょうか。
自公両党で改選と参院の過半数を確保したの は事実です。しかし、自民党は9議席減らし、比例 の得票は240万票の減、絶対得票率(有権者に占 める割合)は18.9%で2割以下となり、単独過半数 を維持できませんでした。これで「勝利」と言えるの でしょうか。
しかも、自民・公明・維新の合計議席で、改憲発 議に必要な3分の2に4議席足りません。選挙戦で 安倍首相は「改憲」を「議論」にすり替えて支持を 訴えましたが、それでも議席を減らしたのです。有 権者は明確に「ノー」を突きつけたことになります。
この結果は、安倍改憲「ノー」を訴えてきた人び とにとっては3度目の勝利ということになります。昨 年の国会で改憲発議を阻み、3000万人署名で世 論を変え、発議に必要な議席を割り込ませたので すから。
このような勝利を可能にした要因は、市民と野 党の共闘によって1人区で10勝したことにありま す。改選2議席を5倍にしての8議席増ですから、 自民党の9議席減の大半を1人区で実現しました。 そのほとんどは新人候補で知名度に劣り、出遅れ があったにもかかわらず、平均27%増という「共闘 効果」によって勝利することができました。
参院での1人区は32ですが、衆院では小選挙区289すべてが1人区です。野党共闘を深化・発 展させ、政策合意を基に相互の連携と支援を強め れば、さらに大きな成果を上げることができます。2 年以内に総選挙は確実ですから、今から準備を 始めなければなりません。
野党では、立憲民主党が改選9から17へほぼ 倍増、国民民主党が改選8から6へ2減、共産党 は改選8から7へ1減、維新は2増の10、社民党は 改選1を維持しました。比例代表での議席は与党 26対野党24ですが、得票率では与党48.42%対 野党50.12%と野党の方が多くなっています。
「れいわ新選組」が2議席、「NHKから国民を守 る党」が1議席獲得するなど、新しい動きもありまし た。政治の現状や既成政党への不満や批判が鬱 積していることの表れです。れいわを糾合しつつ 解散・総選挙を実現し、勝利することがこれからの 課題です。
与党は参院の過半数を確保したものの自民党 単独では法案を通せなくなりました。ホルムズ海峡 での「有志連合」への参加、米中貿易摩擦の影 響、日米貿易交渉でのトランプ政権からの攻勢、 日韓関係の悪化、イギリスのEU離脱など国際情勢 は波乱含みです。
景気が低迷している下での消費税10%への引 き上げや「アベノミクス」の「出口戦略」による国債 暴落などによる経済破たんのリスクもあります。疾 風怒濤が渦巻く中での船出で政治の安定は難し く、レームダック化が避けられない安倍首相に乗り 切れるのでしょうか。

日本科学者会議東京支部つうしん No.621(2019.7.10)

「論文数減少」「研究力低下」「大学の危機」に 関 す る 議 論 に 寄 せ て
東京支部参与 長田 好弘

 このほど、文科省の「科学技術指標」や『ネイチ ャー』の指摘に端を発して、日本の「研究力低下」 と「大学の危機」が議論されるようになった。中国 や米国の論文数が高い伸びを示すなか、日本は 論文数・大学ランキングともに下落傾向にあり、 「研究力に関する国際的地位の低下の傾向が伺 える」との指摘である。『ネイチャー』はその原因と して、科学技術関係投資の伸び悩みと国立大学 の運営費交付金の減少、若手研究者が任期なしの職を得る機会の減少を挙げている。日本の大部分の研究者が同感する穏当な指摘と言えよう。また、多くの誠実な研究者が、さらに加えて、「選択 と集中」「競争政策」がもたらす「研究力」の弱体化 ・破壊の恐ろしさをも指摘している。
 他方、多くの政府文書が示す官邸主導の議論 は、日本の科学技術予算は主要先進国と比べて 遜色ない、運営費交付金の減少も競争資金の導 入で十分補っている、学内での研究費の配分・執行に問題があるのではないか、論文数が少ないのは新しい研究領域への挑戦意欲の貧困と大学の 人事・組織の硬直性に起因する、改善には司令塔機能の強化が必要である、今後は人事給与マネジメントの改革(業績評価、年俸制、学外理事の 複数登用の義務化、学長のリーダシップ強化な ど)をいっそう強力にすすめる、等々を強調してい る。まじめな議論を放棄させようとする権力機構特有の恐ろしい強弁、詭弁である。
 ところで、日本の「研究力」を議論する場合、国 の経済活動を左右し、研究者の重要な就職先でもあり、日本の研究費総額の約7割、研究者総数の約6割を占める企業の研究活動の実情を考える 必要がある。日本の企業は、バブル崩壊後、所有する研究所を縮小し、論文数はその後約4割も減少し、日本の論文数の減少はそこにも起因することが指摘されている。研究開発の高度化のため、 企業内での研究者養成が困難、基礎から応用に至る研究過程のわかる産業人や社会・産業のニ ーズを俯瞰できる研究者の不足、といったことも指摘されている。とくに官邸主導で連発される文書は科学知識に乏しく実態にそぐわないとの指摘もある。しかし企業は、独自に研究組織と活動の改革を重ね、国民の期待する生活資料の提供を使命づけられているのであるから、現在の「科学技術 イノベーション創出力」低下の責任の一端を深く 自覚すべきであり、すべてを大学のせいにするの は、自らの社会的存在意義の放棄と言えよう。
 質的低下の深刻さが指摘される各種報道においても、官邸主導の議論や方策では解決不能な憂慮と先見的視点も散見される。長期的展望に立 っての人類の幸福を展望した研究活動の重視を、 論文数だけで「研究力」の全容を推し測ることは不 可能であり、大学の在り方や方向性を議論するのは危険である、日本の研究活動の歴史的変遷と 各地域的特性を配慮した独自の「研究力」評価が 必要ではないか、等々の意見である。
 これらの議論と実行の基本に据えるべきは、まずは大学において、社会進歩のため人類普遍の原理とされる真理の探究を最優先とし、わが国の平和憲法の豊かな実現をめざす教育に力を尽くすことではなかろうか。企業においては、儲け本位に走るのでなく、これまでに優秀な製品を産出してきた研究開発の原則を堅持して、国民の福祉向上に資する製品開発をめざすことではなかろうか。 民主主義と対等平等を原則とした両者の協力も重要となろう。日本の研究者はその際、軍事費に手 を出さず世界に伍して論文創出を果たしてきたことを大いに誇りて語るべしであろう。
 ここで再度官邸主導の議論をふり返ってみる と、論文数の減少をとらえ、大学に対しては、「研 究力低下」をそしり、それをテコに官邸主導の大学改革の押しつけと大学の自治・人事権の剥奪等を策しているように見える。新たなファシズムをめざして、従順・忠誠心を執拗に要求しているように見える。国民に対しては、先の大戦の敗北の要因・責任を科学技術のおくれのせいにして、国民の視線 を真の敗因からそらそうとしたように、いままたアベノミクス全面破綻の要因を「研究力低下」に転嫁しているように見える。私たちはここで、日米科学技術協力協定( 1988 年)のもと、「国家的重要性を有する科学技術開発」はすべてアメリカの思惑のもとに計画・実行されていることにも心すべきであ ろう。日本国民に必要な「研究力向上」は一筋縄 ではいかない現実がある。
 「研究力」一つとってみても、深刻な矛盾をはらみながら、官邸主導による大学企業化への暴挙は 大学および企業の研究者の連帯の条件を広げて いる。アベノミクス総破綻による市民の政治的要求の高揚は科学の必要を必然としている。研究者と市民の統一戦線の条件はかつてなく広がってい る。選挙を通じて、社会的理性を社会的力に転嫁する条件は以前にもまして成熟している。不合理には永遠の不服従を! 知の連鎖の拡大強化を!
日本科学者会議東京支部つうしん No.620(2019.6.10)

「気候正義」に挑む ― 「知的衝動」と「日々の格闘」
公害・地球環境問題懇談会 事務局次長 清水 瀞

 私は2011年11月、“解離性大動脈瘤”で牛久市 内の病院の集中治療室にいた。3・11福島原発事 故の10/30福島県民大集会の帰途のバス車内で 発症、翌日緊急入院となった次第。この入院中に 友人の池田佳子さんから差し入れられたのが「ショ ック・ドクトリン―災害便乗型資本主義」(ナオミ・ク ライン著)であった。ナオミ・クラインはその後、「こ れがすべてを変える―気候変動vs資本主義」「N Oでは足りない」の三部作をもって地球温暖化の 危機と根源的な変革を鋭く問う提起をおこない、 私に「知的衝動」を与えてくれた。私たち公害・地 球懇の運動にも大きな刺激を与え、活動の原動力 となっている。
 「なくせ公害、守ろう地球環境」の運動・公害・地 球懇のかかげているこの運動目標は1990年結成 のときに打ち出したものであり、「公害は終わった。 これからは地球環境の時代。誰もが加害者・被害 者となる」という政府・産業界の攻撃に対し、「公害 は解決していない。足元の公害と地球環境問題を 一体的にたたかう」との決意を示すものであった。
 1992年のブラジル・リオの「地球サミット」には水俣病・大気汚染の公害被害者と共に100名を超え る代表団を送り、1997年COP3(京都)では現地 事務所を構え、高尾山の天狗みこしを担いで京都 市内をパレードした。
 2009年COP15(コペンハーゲン)から 2015年 COP21(パリ)の歴史的な「パリ協定」合意に至る まで温暖化問題に継続的に取り組むバックボーン となっている。それは同時に、全国公害被害者総 行動と結ぶ取り組みとして44回を重ねいまも続い ている。
 この前進と発展こそが世界の常識となっている 「気候正義」の市民運動として日本的な定着の方 向と考えられないだろうか。危機と困難こそが「変 革のチャンス」全印総連敵視の93名の指名解雇 攻撃とたたかった細川争議解決後から36年、私の 関わったカネミ油症事件・水俣病・大気汚染はい まも根本的な解決に至らず、福島原発事故被害 は先行きが見えない困難に直面している。
 その苦しみの根源である「犠牲のシステム」を解 明し、問題意識をどう共有するか。「国策の失敗」 を認めず、「加害責任」をとらない国・企業に対し 「力のある正義」の運動をどう具体化するのか。そ れができれば“危機・困難”は必ず突破できるが、 この古くて新しい課題に挑戦する「日々の格闘」が 続いている。
 歴史的な転機となる「2020年」を前にいよいよ 「パリ協定」の実行段階に入る。化石燃料ゼロ・再 エネ100%の目標に世界が動いている時に“原発 ・石炭生き残り”のエネルギー政策を頑として変え ず、「9条改憲」「復興オリンピック」に狂奔するアベ 政治との対峙はますます激烈となっている。この 危機感と緊迫感のなかで、運動のベクトルを一致 させる「接着剤」の役割を担い、少しでも「粘着力」 を発揮したい、それが“わが人生の終末“の願いで ある。
日本科学者会議東京支部つうしん No.618(2019.4.10)

ジェンダーギャップ指数下位からの脱出は実現するのか
東京学芸大学名誉教授 大竹 美登利

 世界経済フォーラム(WEF)は各国のジェンダー不平等状況を分析した「世界ジェンダー・ギャップ報告書」を毎年発表している。2018年版(2018年12月18日)によれば、日本は対象国149カ国中110位で、G7の中で圧倒的に最下位。日本では、労働所得、政治家・経営管理職、教授・専門職、高等教育(大学・大学院)、国会議員数の世界ランクがいずれも100位以下と、男女間格差が大きい。
 現政権は強い経済、子育て支援、社会保障の「新・三本の矢」を推進した一億総活躍社会の実現を掲げた。しかし、その対策として目立つのが、労働時間を無天井に延ばせる働き方改革であり、子育て支援や社会保障の有効な政策はなかなか出てこない。労働時間を青天井に延ばせる働き方改革では、ジェンダー格差指数を逆に広げてしまうことになると懸念する。
 国立女性教育会館では、平成30年1~2月に実施した「学校教員のキャリアと生活に関する調査」の報告書および結果の概要を2018年11月に公表した。この調査は男女平等が進んでいると思われている小学校中学校の教員の職場でも、管理職に占める女性の割合がきわめて低いことに注目し(教員に占める女性の割合は小学校62.5%、中学校42.5%、校長の女性比率は小学校19.3%、中学校6.6%、:2017年度学校基本調査)、その要因を探ることをめざした調査である。その結果から次のような状況を読み取ることができる。
 男女で大きく異なる回答は、①家事育児等の家庭生活の役割を担っている比率(女79.45,男3.5%)、②将来管理職になりたい人の比率(女性7%、男性29%)、③管理職になりたくない理由で特に「自分にはその力量が無い」(女68.9%、男51.5%)「責任が重くなると、自分の家庭の育児や介護等との両立が難しい」(女51.5%、男34.9%)「労働時間が増えると,自分の家庭の育児や介護との両立が難しい」(女48.4%、男38.1%)に差があった。
 一方、男女差は少ないが職階で大きな差があるのが在職場時間である。特に副校長・教頭が長く、平均低な1日の在職時間が12時間以上であるものが8割に近い(小学校女78.0%、男73.4%、中学校女83.0%、男81.1%)。
 このことから読み取れるのは、ワーク・ライフ・バランスはあきらめ、青天井の長時間労働を受け入れた人だけが管理職になっていく実態である。副校長・教頭を経ないと校長になれず、管理職への大きな障壁になる。女性が管理職になれない、ならないのは当然であろう。女性活躍社会の実現をめざすなら、長時間労働をまず第一に改善すべきである。
 報告書の最後では「今後は、学校における男女共同参画や男女教員のワーク・ライフ・バランスの推進に向け、得られた知見を活用していく予定です」と結ばれている。期待したいものである。
日本科学者会議東京支部つうしん No.617(2019.3.10)

日本科学者会議の活動に参加してみませんか
日本科学者会議東京支部

 1965年に創設された日本科学者会議は、人々がよりよく生きるために科学を発展させるという一点で団結している研究者・高度専門職業人の学際的な学術団体です。この基本目的に基づいて、創設以来多くの会員が自分の専門研究の枠を越えて、平和・地球環境・基本的人権の擁護等のために力を尽くしてきました。近年では、明文改憲の動きが顕著になるなかで九条科学者の会の発足に尽力し、また福島第一原発事故の発生に対していち早く原発の廃止を定期大会で決議し、自然エネルギー(再生可能エネルギー)を最優先する社会への転換を訴えてきました。このような科学者運動を通じて、私たちは人類の幸せを求める様々な分野の社会運動、市民運動と連帯の輪を広げてきました。
 いま大学や研究機関で研究・教育に携わっている多くの仲間が、学問の自由、大学の自治が根本から奪われつつあることに大きな危惧と憤りを感じています。「社会への貢献」という名目のもとに、政府と経済界による研究・教育分野への介入が公然と行われ、大学・研究機関に「効率化」の論理が持ち込まれ、短期的な成果を求めて有無を言わせぬトップダウンの組織運営・予算配分が強行されています。日本科学者会議は、この学術の現状を多くの国民に知ってもらい、市民・国民の求める科学と学術の発展とは何かを、国民とともに考え行動していきたいと考えています。日本科学者会議とともに科学と学術の現状を打開していきませんか。
 日本科学者会議に入会していただくと、居住地あるいは所属機関・組織の所在地の都道府県支部の会員となります。会員は月刊誌である『日本の科学者』を購読し、全国・支部が開催する様々な学術シンポジウムや講演会、研究会に自由に参加することができます。最大の支部である東京支部は、2年に一度の東京科学シンポジウム(2017年の第19回シンポでは23分科会を設置)をはじめ様々な研究会や定年退職会員に好評のフィールドワークや地域分会研究会が恒常的に開催されています。専門研究や大学・研究機関の枠を越えて、いろんな専門研究者や高度専門職業人、市民運動家と交流・連帯してみませんか。
 専門研究者としての道にいま踏みいろうとされている大学院生の皆さん、定年退職されこれから自由な研究・社会生活を謳歌しようとされている熟年研究者の皆さんの入会も心から訴えます。

日本科学者会議東京支部つうしん No.616(2019.2.10)

「働き方改革」とディーセントワークの実現
中央大学教授  松丸和夫

 昨年の通常国会の与野党対決法案の「働き方改革関連法」(以下「関連法」)が、この4月から一部を除いて全面実施となる。「関連法」には、労働時間の罰則付き上限規制のように、2014年11月施行の「過労死等防止対策推進法」の具体化ととれるものも含まれている。さらに、雇用形態の多様化への対応としての「同一労働同一賃金」の促進という労働者福祉、性別・雇用形態を超えた「均等待遇」に接近する可能性も示されている。
 しかし、同時に経済界からの長年の強い要請を受けてきた「ホワイトカラー・エグゼンプション」の延長線上にある「高度プロフェッショナル制度」の新規導入も含まれた。この「働き方改革」は、「働く人の視点に立った働き方改革」と政府側から言われてきた。しかし、それは、労働者や労働組合からの反発を避けるための巧みなマヌーバーであった。
 労働基準法それ自体は、労働者に対して主として使用者が遵守すべき労働条件の最低基準を定めるものであるから、労働者の権利、とりわけ「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」(同法第1条)の精神が優先されるものであった。もちろん、働く人自身や労働組合の意識改革や努力が求められることも明らかである。
 さて、過労死・過労自死等予防のための最重要課題である長時間労働の削減について若干の私見を述べる。今回の「関連法」の労働時間規制は、3階建てとも言うべき構造になっている。1階部分は、労働基準法32条による1日8時間、週40時間の上限規制である。違反した場合は、6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金である。
 2階部分は、同法36条による労使協定(36協定)が締結された場合は、月45時間、年360時間という残業の上限規制である。これは、1998年の労働省告示第154号の規定の法律への格上げである。確かに、従来の「過労死ライン」の残業時間、月80~100時間を下回っている。36協定に特別条項規定が許され始めた2010年4月までは、労使協定を以てしても月45時間以上の残業は認められなかった。しかし、労働省告示には法的強制力も罰則もなかった。
 3階部分は、「特別条項付き36協定」が公認されてから、大企業を中心に月の残業時間が100時間を超えるような労使協定が拡大し、天井のない3階部分として大きな問題となってきた。過労死ラインをはるかに超える36協定が放任されたのである。「関連法」の実施により、4月以降は、「特別条項付き」の協定であっても、月平均60時間(年間720時間)、2~6か月平均で月80時間、単月で100時間が上限となり、青天井から「屋根付き」の3階部分に法令上は移行する。
 最も大事なことは、一日8時間、週40時間という労働基準法32条の労働時間の上限まで働けば、「人たるに値する」労働生活が実現するかどうかである。この規制から外されている医師、教員、建設、運転労働者等々への上限規制の拡大と併せて、すべての労働者に人間らしい労働(ディーセントワーク)を実現することが必要である。

日本科学者会議東京支部つうしん No.615(2019.1.10)

日本の高等教育政策のあり方を考える 一 私学の立場から ー
法政大学副学長 増田 正人

 昨年9月、「高等教育政策に関する私大連の見解」が発表された。これは私立大学の立場からなされたものであるが、財界や政府、国大協も日本の高等教育のあり方について、様々な提言を発表してきている。現在、日本の高等教育が危機的状況にある中で、私学経営に関わる者の立場から、大きな視点でこの問題を考えてみたい。
 図式的にやや単純化してみれば、政府や経済界の考え方は、1980年代以降に急激に変化したグローバル社会の下で、①高等教育機関は、知財を生み出す国際競争力の根源に変化し、いわば産業基盤そのものになった、②財政赤字の下で、限られた原資で成果を出さなければならない、③日本人だけでなく海外の優秀な若者も必要である、というものであろう。他方で高等教育機関の側から見れば、その使命は真理の探究にあり、研究成果は個別企業・産業の利益ではなく人類全体のためでなければならないし、教育の目的は自立した民主主義社会の担い手の形成である。
 この間の政府や財界の主張は、彼らのいらだちの反映である。国立大学をはじめとして大学改革を強行し、財政誘導を活用しつつ大学内の管理運営改革も実行してきたにもかかわらず、なかなか結果が出ていない、だからもっと過激に介入をしなければならないというものである。他方で、研究者の立場からみれば、現在の政策は教育研究基盤そのものを掘り崩し、結果的に若手研究者層への負担を拡大するばかりで、世界における日本の研究プレゼンスの低下を招き、それを強めればますます基盤が弱くなるというものである。の研究プレゼンスの低下を招き、それを強めればますます基盤が弱くなるというものである。の研究プレゼンスの低下を招き、それを強めればますます基盤が弱くなるというものである。
 どちらの立場が正しいのかは既に決着がついているが、問題は政府や経済界がそのイデオロギー(改革が不十分だから結果が出ない)に固執している点である。この問題は国の経済政策のあり方を巡る新自由主義の害悪と全く同じ構造になっている。
 しかし、政府や財界の誤りは誤りとして改められなければならないが、翻って各大学の対応は十分なものであっただろうか?私学でいえば、財政危機への対応として、学費値上げで学生負担を増やし、他方で、任期付教員を増やし、非常勤講師等への依存を強め、事務においても嘱託職員を増やし、業務委託を拡大してきた。いわば、弱者への負担を強めて対応してきたといってよいわけで、そのひずみは限界に達している。
 こうした高等教育政策の背景にある、研究成果を知的所有権として独占し、巨万の富を生み出すことを良しとするグローバル社会のあり方についての是非も問わなければならないだろう。一部のものではなく、大学でまじめに学び、社会に出ていく多くの若者たちが幸せになれる社会でなければならない。各大学が個別に対応するのではなく、学生や父母、大学内で働く全ての人々と協力し合いながら、世論喚起をしていく必要があろう。今年一年がそうした大きなうねりを起こす転機にしたいと思う。

日本科学者会議東京支部つうしん No.614(2018.12.10)

豪雨災害から学ぶべきものはなにか-水害リスクを考える-
公立大学法人・前橋工科大学名誉教授 土屋十圀

① ハザードマップは二次的、潜在的な水害リスク要因まで示せ
 2018年7月の西日本豪雨災害は九州から関西までの広い地域に河川災害、土砂災害をもたらし、いのちと生活を奪った。被害の直接的な要因は線状降水帯と呼ばれる豪雨であり、愛媛県肱川では河川の計画降雨量340 ㍉/2 日を超え、激しい豪雨を各地にもたらした。中でも広島県、岡山県、愛媛県の三県の死者は最も多く其々109 人、61 人、29 人であった。
 さて、新聞報道や現地調査からみると各地域の被害の特徴がわかる。広島県は土砂災害による死者が最も多い。岡山県は堤防決壊による氾濫による水死者、愛媛県は肱川のダム放流に伴う河川氾濫による死者および土砂災害の複合災害であった。広島県は2014 年の土砂災害を上回る大きな被害となり、風化花崗岩の地質・地形という災害リスク要因の大きい地域の宅地開発が指摘されていた。愛媛県肱川ではダムによる治水の限界を改めて示した。本文では岡山県真備町の被害から水害リスクを考える。
 岡山県の高梁川水系の小田川は上流が広島県から流れ、下流の支川を含む堤防決壊による氾濫で低平地の住宅、農業に甚大な被害を与えた。倉敷市真備町は山麓沿いの古い街で、新市街地の南側を流れる小田川は合流点から約8km まで国の管理であり2 ヶ所で決壊。県管理の末政川など3 支川は6 ヶ所で越水・決壊した。この現地調査に入り最初に驚いたことは、小田川の河川敷に高密度に繁茂した柳・ハリエンジュなどの高木が堤防や橋梁の高さまで達していたことである。国は川が滞留し流れにくいことを住民から指摘されていたこともあり復旧工事の中、慌ただしく樹林の一斉伐採をしていた。河道の管理が行われていないことが露呈した。河川敷の樹林管理は全国的な課題でもある。
 次に、各支川が天井川という地理的・地形的な特徴に注目した。これらの天井川は周辺の山麓の高い位置からほぼ直線で流下し小田川に直角で流入する。この天井川は主に農業利水のために創られた水路であり治水機能はない。ローマの水道といった施設に近い。天井川の河底は平地から2?4m は高く、堤防が決壊すれば家屋の被害は避けられない。この天井川と低平地は地形上、潜在的に洪水リスクが存在していたことになる。この支川の堤防決壊は小田川河川敷の樹林によるバックウォーターの影響によるものと考えられる。これらが溢水破堤の二次的な水害リスク要因になったことは間違いない。
 近年、自治体が示す洪水ハザードマップは河川計画規模の外力、即ち年超過確率降雨量(1/100?1/200)を対象に氾濫するハザードを予測している。小田川のそれは1/100, 225 ㍉/2日のハザードマップを作成していた。しかし、現在のハザードマップは危険要因(peril)である降雨規模とこれによる危険状態(hazard)の氾濫域と浸水深は示されているが、予測される被害(damage)とその脆弱性(vulnerability)の見積もりは不明で知らされていない。堤防や河川敷の管理及び天井川などの農業利水施設による二次的、潜在的な水害リスク要因は検討されていない。これらは正常に管理されていることを前提としているからである。普段の街づくりから地形・地質をはじめ災害リスク要因を見積もり、その脆弱性の低減に繋がる対策こそ重要である。都市化が進む真備町は下水道整備率40%と低い。旧来の農業利水システムの上に急激な市街化が脆弱性と水害リスク要因を高めていたと考えられる。
② 想定最大規模豪雨はバーチャルで無謀
 全国では水防法改正に伴い、想定最大規模豪雨(1/1000)を作為的に作成する手法でハザードマップを市民に示している。豪雨という危険要因を意図的に高くすれば更にハザードは増大するだけであり、ハードの対策は限界がある。そのため降雨規模1000 年に1 回の「レベル2」と呼ぶ計画は避難対策しかない。これは「想定最大豪雨」というより「仮想最大豪雨」を根拠に避難計画は作られ、東京では250 万人を3 日間で周辺地域に避難させるとしている(東京江東五区避難推進協議会)。国は平成29 年に避難訓練を義務化している。1000年に1 回の降雨確率はデータもないため、真に「確からしさ」を示すことにはならず、市民が理解し納得するかは疑問である。これは無謀な避難となるであろう。今回、愛媛県の避難情報に対して実際の避難実行者は0.32%であったと報道された。現在の河川計画レベルの1/100?1/200 確率までの治水対策、避難対策に対して確実に取り組むべきである。

日本科学者会議東京支部つうしん No.613(2018.11.10)

「新時代沖縄」はなにをめざすのか
明治学院大学国際平和研究所・助手 秋山 道宏圀

 2018年9月30日の沖縄県知事選当日、東京の下宿先でインターネット中継を視聴しながら固唾をのんで結果が出るのを待っていた。20時に投票箱のフタがしまるとすぐに、玉城デニー氏の当確報道が流れた。「お!」と嬉しい驚きをもってニュースを受けとめたが、各地の選挙結果や投票動向が具体的に明らかになるにつれ、その「驚き」は二つの意味のものであることが意識されてきた。
 一つは、早い段階で当確報道が出たことからも予想されたが、大差でのデニー氏勝利という結果への「驚き」であった(約8万票差)。というのも、今回、佐喜眞陣営には、自民・公明に維新が加わり、今年2月の名護市長選挙の路線を引き継いで辺野古問題を争点化せず、また、業界的なしめつけと期日前投票を徹底した組織戦がとりざたされていたからだ。
 しかし、それだけではなく、大差でのデニー氏勝利が、旧来の沖縄における政治・経済構造の変化をより極端に示した(進めた)のでは、という「驚き」があった。地元紙などが行った出口調査の結果では、デニー氏への無党派層や女性からの支持の多さに目が向けられがちだが、ここで強調したいのは自民や公明支持層の離反である(2割?3割)。公明と自民では、若干、その論理は異なるが、旧来的な締めつけ選挙(=動員)が機能しなかったことの表れであると言える。たとえば、候補者の選定で先行していた佐喜眞陣営であったが、経済界では、県経済団体連絡会議や県建設業協会などは早々に「推薦」を決めていたが、「組織対応なし」が前回知事選の3団体から5団体となり、また、県経営者協会の「推薦」決定が遅れるなど、組織戦を徹底しているとされながらも、足並みの乱れが出ていた。また、今回は「推薦」を決めた建設業界も、内部ではデニー氏の選対を支える県内大手の金秀グループ(呉屋氏)や、脱公共事業(≒脱基地受注)を明確に打ち出している照正組(照屋氏)を抱えており、2010年代に入ってから自民党支持は自明ではなくなってきていた。
 加えて、辺野古を争点にしないという表面上の自公維の路線とはうらはらに、さまざまな場面で中央政党が前面に出たことで、かえって辺野古への新基地建設を強行する現政権への不信をかったと言える(出口調査での政権批判の強さ)。こう考えたとき、沖縄差別や、基地と経済を天秤にかけさせる分断政治への反発から、県民として一丸となることを強調した翁長前知事の路線を引き継ぎつつ、「誰も置き去りにしない」ことを強調したデニー新県政は、これからどこに歩んでいくのだろうか(女性の「質」失言の佐喜眞氏に対し、デニー氏はLGBTの企画にも足を運んでいた)。それは、経済振興をちらつかせつつ、暴力的に新基地建設を進め、社会/運動を分断しようとする権力の行使を、明確に拒否するかたちの多様で、包摂的な社会/運動を構想していくことに他ならない。その変化は、着実に、しかもドラスティックに進んでいる。
日本科学者会議東京支部つうしん No.612(2018.10.10)

道徳の教科化に思う―憲法・道徳・政治の関係を問う―
法政大学名誉教授 佐貫 浩

(1)安倍内閣の下での新自由主義的社会改変は、今まで日本社会に蓄積されてきた人権と幸福追求権の一斉切り下げを、止めどのない崩壊というほどに、推進している。権力が社会的に合意されてきた道徳性の規範をこれほどにあからさまに放棄し、日本が競争に生き残るにはこれしかないと居直る事態が訪れている。今日の道徳性の危機はここにある。社会の道徳性という点から見れば歴史的に一番恐ろしいのは、言うまでもなく権力の腐敗、独裁、権力による人間の尊厳の否定である。これを批判し、阻止し、人権と民主主義を維持しようとする意思と力量にこそ、その社会の道徳性の水準が刻み込まれている。
(2)考えてみれば、現代社会の正義と人間的道徳の水準を創造・維持しているのは政治にほかならない。人類は、長い間、命をも奪う権力政治のなかを、また戦争としての政治の中を生きてきた。そこでは、道徳とは、この支配秩序への忠誠を強制する行動規範であった。しかし、市民革命を経てようやく、人権と平等と平和の方法としての政治を前面に押し出し、その正義と道徳性の社会的合意の到達点を憲法的正義として掲げるに至った。
(3)そう考えてみれば、道徳性は、市民革命を経ることにおいて根本的にその質を転換したのである。だから、日本国憲法の下では、政治的主体として、社会の正義規範を創造・発展させていく主権者になることこそが、道徳性の主体になることであるという論理が成立したのである。
このことから考えるならば、真に主体的なシチズンシップの教育としてこそ、道徳性の教育は取り組まれなければならない。
道徳の「教科化」は、この社会の歴史的発展と道徳性を切り離し、現代の新自由主義社会の競争と自己責任の檻に個人を閉じ込めるための規範として、徳目としての道徳を教え込み、それに従った行動訓練をも押しつけようとしている。それは権力支配とグローバル資本の人間搾取を受容させる人格への支配と統治として、展開されつつある。
(4)しかし、新自由主義はその支配の論理を、格差・貧困・差別の拡大によって人と人とが競争し、人と人とが互いに支配と被支配の位置を争奪し合う横の関係へと浸透させ、人々を、子どもをその網の目に囚え、生きられない日常を生み出し、ストレス、敵対、心の閉塞、孤独や孤立をも蔓延させる。この事態に対して、私たちの目指す道徳性の教育は、個の尊厳、ひとり一人のかけがえのない人間としての思いに共感しあえる横の関係を編み直す役割をも背負わなければならない。すなわち横の関係における人間の尊厳の論理の再構築である。
人間を否定する社会の論理に対して、人間のかけがえのない存在価値の再発見のための教育と学びを、現代への抵抗と変革に向けて立ち上げることができるかどうかが、私たちの道徳教育に問われている。

日本科学者会議東京支部つうしん No.611(2018.9.10)

「統合イノベーション戦略」についてー 日本の科学・技術、学術を変質する実行計画
特許庁分会 野村 康秀

 統合イノベーション戦略(82頁、以下「統合戦略」)が6月15日閣議決定されました。松山科学技術担当相は、「ソサエティ5.0の実現のため、『世界水準の目標』、『論理的道筋』、『時間軸』を示し、基礎研究から社会実装・国際展開まで、『一気通貫』で取組を推進する…重要事項として、例えば大学改革や若手研究者の活躍促進」等を盛り込んだ、と説明しました。安倍首相は、「この戦略を内閣の成長戦略のど真ん中に位置付け」ると述べました(6月14日、総合科学技術・イノベーション会議(CSTI))。翌7月、官房長官を議長に全閣僚で構成する「統合イノベーション戦略推進会議」が設置されました。CSTIの外、IT、知財、健康・医療、宇宙、海洋、地理空間情報活用の「司令塔」を、横断的かつ実質的に調整する官邸主導の「統合」体制の構築です。
 統合戦略で目立つキーワードは「大学」です(本文中に304回登場)。統合戦略は、「グローバル競争に打ち勝ち、イノベーションによる持続的成長を実現するためには、破壊的ともいえる画期的な科学技術イノベーションを生み出す場である大学に活力を与えることが必要」として、「大学改革等によるイノベーション・エコシステムの創出」等を見出し項目に掲げます。成長戦略の基本方針「未来投資戦略2018」、「骨太方針2018」や「人づくり革命基本構想」でも、大学改革の見出しがあります。大学は成長戦略の攻撃の的になります。
 日本の科学技術政策は、科学技術基本計画 (1996年度以来5年毎に策定)と、2013年度以来毎年の科学技術イノベーション総合戦略(2018年度は策定なし)に基づき進められます。総合戦略 2017は、第5期基本計画(2016年1月、16~20年度対象)を踏まえ、「官民研究開発投資拡大」のため、予算編成「改革」やエビデンスによる効果的投資拡大を決めました。  統合戦略は、名称に「科学技術」がないことで推察されるように、「基礎研究」「学術研究」は、言及も僅か(本文中8回、3回)で、「推進」の対象でもありません。統合戦略は、総合戦略2017による科学技術政策を、イノベーション実現の観点から政府全体を監視し実行を迫り、Society5.0実現を図るものです。
 統合戦略は、「特に取組を強化すべき主要分野」の一つに「安全・安心」を明示しました。「技術的優越」、「安全・安心の観点から伸ばすべき分野や補うべき分野、適切に管理すべき分野を明確化」、「将来の活用が期待される科学技術候補や適切に管理すべき分野を早期に発掘」、「大学、企業等が組織として科学技術情報を守るための適切な対応」等、科学技術の分野に軍事的観点を持ち込みます。
 統合イノベーション戦略は、目先を変えた科学技術政策の一文書ではありません。大学を産学官連携に取込み、世界規模で利潤極大化を目指す大企業を後押しするイノベーション政策を(米国主導の軍事秩序の枠内)、政府財界総掛かりで「統合」的に推進する実行計画です。学習と批判、進捗の監視が必要です。

日本科学者会議東京支部つうしん No.610(2018.8.10)

私の8月15日 いま若い仲間たちに期待すること
東京都立大学名誉教授(哲学)  秋間 実

 1945年のあの日、旧制一高の1年生として正午から講堂で、たまたま安倍能成校長のすぐそばで、天皇のラジオ放送を聴きました。2~3日まえに、政府高官を父にもつ或る上級生からポツダム宣言受諾という政府の意向をしらされていましたので、ショックは受けませんでした。ただ、安倍さんが涙を流しておられる情景に接して、敗戦国民としてこの先にいろいろな苦難は避けられないのだろうな、という思いは骨身にこたえました。
 あれから73年、8・15がまためぐってきます。いま、敗戦後最悪最低のアベ政権による悪法のごり押し・公文書の改ざん隠ぺい・うその答弁など、善良な市民をなめきった言語に絶する悪行の数かずは、目にあまります。
 とは言え、アベを退陣に追い込んで内政をも外交をも抜本的に変えようと目ざす主権者各層の創意あふれる多彩なねばりづよい運動も、日ごと週ごと月ごとに強まり広まってきています。1965年12月4日に創立された日本科学者会議--自然科学者・技術者・人文社会科学者を結集したこの比類のない組織も、この戦い(と言えましょう)の一翼を担うものです。私も創立以来の会員ではありますが、いまや高齢の身、思うように活動することが残念ながらできなくなっています。それだけに、さしあたっては東京支部の若い会員たち--さまざまな困難をかかえながらそれぞれの分野なり部署なりでがんばっておられる若い仲間たち--に、熱い期待を寄せずにはいられません。
 どうか、当面のさまざまな理論上また実践上の諸課題とひきつづき向きあって、豊かな経験と高い見識とを具えた先輩たちまた同憂の若手たちと幅広く共同・交流するなかで、いっそう視野を広げ(これは狭い専攻分野に閉じこもっていては得られない、JSAならではのメリットですよね)専門家としての力量をますます高めることに努めてください。と同時に、しかし、5月の支部大会で米田 貢事務局長がいみじくも表明された確信:大規模支部である「東京支部が光り輝き続けることが、科学者会議[全体]の新たな前進につながる」のだとする確信(『支部つうしん』608号)を共有して、仲間をふやして支部を大きくしいっそう活性化させる活動にも、意識して取り組んでくださるように!
 以上、支部参与の任にもある老生の心からの期待を申し述べました。
      (7月20日)

日本科学者会議東京支部つうしん No.609(2018.7.10)

「明治150年」と憲法問題
早稲田大学教授(日本近代史) 大日方 純夫 

  一昨年(2016年)10月、政府は内閣官房に「明治150年」関連施策推進室を設置し、以来、「明治150年」キャンペーンを展開している。施策の柱は、①「明治以降の歩みを次世代に遺す施策」、②「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ向けた施策」、③「明治150年に向けた機運を高めていく施策」の3つとなっている。  一昨年(2016年)10月、政府は内閣官房に「明治150年」関連施策推進室を設置し、以来、「明治150年」キャンペーンを展開している。施策の柱は、①「明治以降の歩みを次世代に遺す施策」、②「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ向けた施策」、③「明治150年に向けた機運を高めていく施策」の3つとなっている。
 推進される施策は、「明治期全般の様々な取組や人々の活躍などを対象としたもの」だというが、3000件(2018年3月末の集計)を越える施策には、日清戦争も日露戦争もなく、台湾の植民地化も、朝鮮の植民地化もない。国内で噴出した様々な矛盾も消去されている。浮かび上がるのは、「戦争」と「アジア」と「民衆」を消去した「明治」である。リアルな「明治」の実相とはほど遠く、「精神」ばかりが称揚されている。
 安倍首相は、今年元旦の「年頭所感」で、「150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタート」したとして、「あらゆる日本人」が「力を結集」して「国難」を克服したと主張した。彼が言う「一億総活躍」社会を創り上げるため、「明治」を最大限に活用しようというのである。また、施政方針演説でも同様なことを語って、改憲論議によって「新たな国創り」を進めようと呼びかけた。
 ちょうど50年前、安倍首相の叔父、佐藤栄作首相のもとで「明治100年」記念事業が推進された。それは、第一に、「明治」を一面的に美化するという点で、第二に、天皇主権の大日本帝国憲法のもと、「戦争」によって対外膨張をはかった戦前と、国民主権の日本国憲法のもと、「平和」と「人権」を掲げた戦後を一括してとらえるという点で、第三に、歴史を活用してナショナリズムと国威発揚をはかろうとする点で、「明治150年」と共通している。 「明治100年」の際には、天皇への敬愛と愛国心、伝統と文化の尊重などを強調する「期待される人間像」が発表され、「建国記念の日」によって「紀元節」が復活した。「明治150年」は、愛国心や伝統・文化(「日本の良さ」)を強調する道徳教育の教科化と結びついている。さらに、日本国憲法が発布された「文化の日」(明治期の「天長節」、昭和戦前期の「明治節」)を、「明治を記念するに相応しい」日にしようとする「明治の日」制定運動が展開されている。「明治節」復活の目論見である。
 しかし、「明治100年」と「明治150年」の間には大きな変化もある。国際的には「冷戦」が崩壊し、国内的には高度経済成長が終焉した。こうしたなかで、保守的統合(経済による統合)から反動的統合(政治による支配)へと統合路線も変化し、解釈改憲路線にかわって明文改憲路線が台頭している。「明治100年」とは異なって、「明治150年」は明文改憲の動きが顕著となるなかで展開されている。
 「明治」を一面的に美化し、戦前・戦後を一括してとらえ、国威発揚をはかることがもつ今日的な意味(「明治100年」とは異なる機能)に注意したい。「明治」(さらに戦前)が大日本帝国憲法とともにあったことを忘れてはならない。  推進される施策は、「明治期全般の様々な取組や人々の活躍などを対象としたもの」だというが、3000件(2018年3月末の集計)を越える施策には、日清戦争も日露戦争もなく、台湾の植民地化も、朝鮮の植民地化もない。国内で噴出した様々な矛盾も消去されている。浮かび上がるのは、「戦争」と「アジア」と「民衆」を消去した「明治」である。リアルな「明治」の実相とはほど遠く、「精神」ばかりが称揚されている。
 安倍首相は、今年元旦の「年頭所感」で、「150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタート」したとして、「あらゆる日本人」が「力を結集」して「国難」を克服したと主張した。彼が言う「一億総活躍」社会を創り上げるため、「明治」を最大限に活用しようというのである。また、施政方針演説でも同様なことを語って、改憲論議によって「新たな国創り」を進めようと呼びかけた。
 ちょうど50年前、安倍首相の叔父、佐藤栄作首相のもとで「明治100年」記念事業が推進された。それは、第一に、「明治」を一面的に美化するという点で、第二に、天皇主権の大日本帝国憲法のもと、「戦争」によって対外膨張をはかった戦前と、国民主権の日本国憲法のもと、「平和」と「人権」を掲げた戦後を一括してとらえるという点で、第三に、歴史を活用してナショナリズムと国威発揚をはかろうとする点で、「明治150年」と共通している。 「明治100年」の際には、天皇への敬愛と愛国心、伝統と文化の尊重などを強調する「期待される人間像」が発表され、「建国記念の日」によって「紀元節」が復活した。「明治150年」は、愛国心や伝統・文化(「日本の良さ」)を強調する道徳教育の教科化と結びついている。さらに、日本国憲法が発布された「文化の日」(明治期の「天長節」、昭和戦前期の「明治節」)を、「明治を記念するに相応しい」日にしようとする「明治の日」制定運動が展開されている。「明治節」復活の目論見である。
 しかし、「明治100年」と「明治150年」の間には大きな変化もある。国際的には「冷戦」が崩壊し、国内的には高度経済成長が終焉した。こうしたなかで、保守的統合(経済による統合)から反動的統合(政治による支配)へと統合路線も変化し、解釈改憲路線にかわって明文改憲路線が台頭している。「明治100年」とは異なって、「明治150年」は明文改憲の動きが顕著となるなかで展開されている。
 「明治」を一面的に美化し、戦前・戦後を一括してとらえ、国威発揚をはかることがもつ今日的な意味(「明治100年」とは異なる機能)に注意したい。「明治」(さらに戦前)が大日本帝国憲法とともにあったことを忘れてはならない。
日本科学者会議東京支部つうしん No.607(2018.6.10)

「働き方改革」法案の撤回を
民間企業技術者・研究者問題委員会 委員 酒井 士朗

安倍政権と自民・公明・維新・希望の党が「働き方」改革法案の成立をゴリ押ししている。そもそもすべての労働団体と過労死遺族の会が過労死を促進するとして反対している法案を「働き方改革」などと偽って強行するなど道理がなく絶対に許されない。 JSA民間企業技術者・研究者問題委員会も、研究者・技術者の過労死・自死の根絶を課題として、東北大学の若手研究者やIT企業のSEプログラマー、田辺製薬契約研究員、病院看護士の過労自死問題などを取りあげ、事実解明と根絶のための課題の検討、過労死根絶運動への連帯などを進めてきた。これらに共通することは、過大なノルマを与えたり、慣れない仕事をやらせたり、多数の仕事を同時に与えるなど加重な「働かせ方」をさせながら労働時間も健康状態の把握も曖昧で健康を守る対応がなされていないことだ。従って労働基準法や労働安全衛生法が定める労働時間の制限と実態把握、安全配慮義務を雇用者にまもらせる雇用者の「働かせ方」の規制を具体的に強化する運動が進められてきた。 通常の時間外労働の上限を「週45時間、年間360時間」とする労働省告示や「月80時間は過労死ライン」とした過労死認定基準などは、こうした運動を反映したものだ。「働き方改革」法案は、過労死ラインを超える「月100時間」の時間外労働を合法化、労働時間法制の規制を受けない「高度プロフェッショナル制度」の導入により、長年の運動で実現してきた「働かせ方」規制の廃止を狙った資本の横暴であり、絶対に許せません。 「同一労働・同一賃金」のうたい文句も、実際には「同一労働・同一賃金」の原則は法案に書かれず、「合理的な理由」があれば格差が「合法」となる。非正規雇用をここまで増やしたのは、企業が安上がりの労働力として利用、都合に合わせて雇用や解雇するためだ。地域限定の仕事、繁忙期だけの仕事、メインの仕事でないなどを口実に賃金格差が温存される。 法案が明記する「多様な働き方」の拡大は重大だ。「地域限定社員」「仕事限定社員」さらにフリーランスの名で「個人事業者」の活用を喧伝する。いずれも「雇用責任」を契約で限定して「地域限定」では事業所が地域から撤退すれば解雇、「仕事限定」では「仕事が他の事業所に移れば、住居移転や遠隔地通勤を迫られる」。さらに「個人事業者」では企業は「雇用責任はない」と主張する。電機産業やNTTのリストラでは、生活破壊に猛威を発揮した制度だ。 「働き方改革」の狙いは、「雇用の流動化」にある。大学や企業の研究者は他の労働者に先駆けて1986年「研究交流促進法」で流動化させられ、また任期付き雇用の害悪を肌で実感している。研究者・技術者の地位や生活、労働条件は、国民のそれと無関係に保障されるものではない。いま起きている事態をしっかりと認識し連帯を強めて反撃しましょう。   (武蔵野通研分会 酒井 士朗)
日本科学者会議東京支部つうしん No.606(2018.5.10)

森友問題と公文書管理
中央大学教授(憲法・フランス公法) 植野 妙実子

 森友問題、加計問題、陸自日報、厚労省の「是正勧告」や働き方改革に関わるずさんなデータ、文科省の講演内容調査、財務省次官のセクハラ等、不祥事や不透明な事柄が後を絶たない。一体どうなっているのかと思うが、あきれるのは相変わらず平然と内閣が何事もなかったかのように、居座り続けていることである。
 国民主権に基づく民主主義は、国民の民意を中心として、政治が動く。民意は、選挙を通して、あるいは請願、言論やデモなどによっても表明される。重要なのはそうした政治的表明が行われる場合に、判断をするための材料が必要ということである。その材料を提供するのが、一般的にはまず報道であり、「報道の自由は、国民の知る権利に奉仕する」という位置付けになっている。次に、情報公開や公文書公開が国民の政治に関する判断を助ける制度として不可欠となる。どのような政治的事項がどのように決まっていくのか、国民はその目的やプロセス、適切性を知ることができる。今日では国家機能の増大化がみられ、それにともない、国家への情報の集中もみられる。国民が、必要とする情報にすぐにアクセスすることができ、それをもとに自由に意見や批判を述べる、判断を下すことができるようでなければならない。憲法21条1項の表現の自由の規定に、政府情報開示請求権まで直接認められるかについては議論もあるが、それがなければ、多くの疑問が闇の中に葬り去られてしまうことになる。そうした判断の材料の一つである公文書は重要であり、これが書き換えられることは民主主義の根幹を揺るがす問題である。森友問題においてはその判断材料である文書が改ざんされた。誰が、いつ、どのような目的で、どこからの指示で、あるいは指示はないのに「忖度して」、文書の改ざんを行ったか、未だに明らかになっていない。
 公文書の重要性が認識されたのは1999年である。同年5月、いわゆる情報公開法が成立、2001年4月から施行された。2000年、行政文書の管理方策に関するガイドライン(各省申し合わせ)も作られている。情報公開法の目的は、国民主権の理念にのっとり、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、政府の諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにすることで、公正で民主的な行政の推進に資することである。対象はすべての行政機関の組織的に用いられる行政文書である。これに呼応する形でいわゆる公文書管理法が2009年に成立した。その目的は、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政が適正かつ効率的に運営されるようにすること、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること、である。すなわち双方の法律はともに行政が説明責任を果たすことを要求している。森友問題の疑問が解明されない状況は、国民不在の政治が行われている状況なのである。国民を中心とする民主主義はどのようにあるべきかを基本に立ち返って考える必要がある。

日本科学者会議東京支部つうしん No.606(2018.4.10)

今こそ「水に落ちた安倍は打て」― 安倍政権打倒に向けての追撃戦が再開された
法政大学名誉教授  五十嵐 仁

 「こんなはずじゃなかった」と、安倍首相は思っているはずです。昨年の夏、支持率が急落して都議選で歴史的な大敗北に陥った危機を、突然の解散・総選挙と野党勢力の分断で乗り切ってきたのですから。今度こそ、改憲実現の時と意気込んで臨んだ通常国会でした。それが、これほど追い込まれてしまうとは夢にも思わなかったにちがいありません。
 通常国会開会の日、安倍首相は自民党両院議員総会で「我が党は結党以来、憲法改正を党是として掲げ、長い間議論を重ねてきた」と述べ、「いよいよ実現する時を迎えている。責任を果たしていこう」とハッパをかけました。「一強体制」を背景に、朝鮮半島危機を利用しながら改憲を実現しようと目論んでいたのです。
 しかし、その後の内外情勢の急変によって、この思惑は音を立ててくずれつつあります。南北会談や米朝会談が決まって北朝鮮と中国との首脳会談が行われるなど、朝鮮半島情勢は緊張緩和と非核化、和解と協力の方向にかじを切ろうとしています。
 この間、安倍政権は蚊帳の外に置かれたばかりか、頼りにしていたトランプ米大統領によって鉄鋼・アルミの輸入制限措置を課され、「彼らはいつもほほ笑みを浮かべている。その微笑の裏には、“こんなに長いこと、米国を利用できたことが信じられない”との思いがあるだろう。しかし、そのような時代はもう終わりだ」と名指しで批判される始末です。蜜月は幕を閉じ、外交的な孤立が深まりました。
 内政でも、「働き方改革国会」と意気込んで臨んだものの裁量労働に関する調査データの不備が判明し、謝罪して関連部分を削除せざるを得なくなっています。関連法案の国会への提出は4月にずれ込みました。
 昨年から大きな問題になってきた森友学園への国有地の格安売却についても、決裁文書の改ざんが発覚しました。健全な民主主義の基礎となり、国民の知る権利を保障するべき公文書が改ざんされ、それに基づいて1年以上も国会での審議が行われてきたという前代未聞の事態が生じていたのです。
 森友学園事件は、籠池前理事長の国粋主義的な教育理念に共鳴した「安倍夫妻と不愉快な仲間たち」の関与と忖度によって小学校用地の取得に便宜が図られ、それを隠蔽するために公文書が改ざんされたということではないでしょうか。
 安倍「一強体制」による「毒」が官僚機構にも及び、政治と行政の私物化によって国政が歪められたということにほかなりません。戦後最低で最悪、異常で劣悪な政権によって、国政の土台がぶっ壊されてしまいました。これを立て直して立憲主義と民主主義を回復し、憲法を守り憲法に基づく政治を再生しなければなりません。
 そのためには、安倍政権を打倒することが必要です。昨年の夏、「水に落ちた安倍は打て」と書いて、私は政治危機に陥った安倍政権への追撃を呼びかけました。いま再び、政治危機に陥った安倍政権への追撃を、次のように呼びかけたいと思います。
今こそ「水に落ちた安倍は打て」と。